この記事は流血や暴力的な内容についてのテキスト・画像を含みます。
直接的な表現は極力避けていますが、閲覧の際はご注意願います。
バーチャル僧侶として活動しているいとよさんが主宰して行われた、古代アステカ文明の「トシュカトルの祭り」を再現したイベント「アステカの祭り」について紹介します。
目次
アステカ文明とトシュカトルの祭りについての予備知識
アステカ文明とそこで行われた祝祭において、内容を知らない方も多いと思います(かくいう筆者も、編集部から取材依頼を受けるまで「アステカって中南米にあった文明だったっけ…?」程度の知識しか持ってなかった)ので、アステカ文明とトシュカトルの祭りについての概要をまずは紹介します。
アステカ文明とは
アステカ文明は1428年頃に成立し1521年にスペイン人によって滅ぼされるまでの約95年間(日本で言えば室町時代の中期~末期)、今で言うメキシコの中央部で栄えた文明です。
積極的な軍事侵攻で短期間で勢力を拡大していった帝国でもあった事、高度な建築技術や土木技術の存在、「太陽の石」をはじめとした印象的な遺物……など、アステカ文明には多くの特徴があります。
ですが、この記事において特筆すべきアステカ文明の特徴は
「人類史上他にない規模で人身供犠(いけにえの儀式)が行われてきた」事
です。
日本にも「ヤマタノオロチ」などの伝承があるように、「神に人間のいけにえを捧げる」風習はかつて世界の各地に存在していたのですが、アステカ文明のように「大規模かつ組織的に」人身供犠が行われていたところは他にないとされています。
「花戦争」と呼ばれる「(相手国の兵士を生け捕りにする事で)多くの生贄を確保する事が目的の儀式的戦争」を定期的に周辺諸国と行っていた、とされている事だけでもアステカ文明における人身供犠の規模の大きさが伝わるのではないでしょうか。
トシュカトルの祭り
「トシュカトル」は「乾いたもの」という意味を持ち、アステカの太陽暦における18の月のうち5番目の月です。現在わたしたちが用いている太陽暦に当てはめると4月23日~5月12日に相当します。
アステカの太陽暦は1か月を20日としています(年の終わりに「ネモンテミ」という不吉とされる5日間があり、(20日×18か月)+5日=365日で1年が構成されていました)
アステカの暦の元日がいつであるかは資料によって異なり、それによってトシュカトルがわたしたちの暦のいつになるかも変動するのですが、この記事ではイベント主催者が採用した資料(元日を2月1日としている)に沿って紹介を行っています。
トシュカトルの初日(月初め)に、「創造神」「最高神」などとも形容される神「テスカトリポカ」の化身を生贄として捧げ、テスカトリポカをたたえる「トシュカトルの祭り」が行われました。
最高神テスカトリポカ
「煙を吐く鏡」という意味の名前を持つ神であるテスカトリポカは、アステカの神々の中で最も大きな力を持つと同時に多くの側面を持った神でもあります。
その神性は、夜の空、夜の風、北の方角、大地、黒耀石、敵意、不和、支配、予言、誘惑、魔術、美、戦争や争いといった幅広い概念と関連付けられている
テスカトリポカ – Wikipedia
また赤、青、白、黒という4つの色ごとに違った属性を持った神として扱われており、例えば
「青のテスカトリポカ」は太陽と戦いの神とされ、「黒のテスカトリポカ」は夜と苦難の神であり、破壊と死の化身でもある、とされています。
とにかくこの神が関連している事柄は非常に多く、そのことからもテスカトリポカという神はアステカの文明において非常に重要な存在であったという事が分かります。
「アステカ文明において行われていた『最高神テスカトリポカの化身を神に捧げるお祭り』の再現」が今回紹介する「アステカの祭り」のイベントの概要になります。
ここからは、イベントの詳しい様子を史実との比較を交えつつ紹介していく事にしましょう。
イベントの様子
イベントは計三回行われましたが、今回は(筆者が取材した)第一回の様子の写真を中心に紹介していきます。
主催によるあいさつと注意事項の説明
ワールドに入ると注意書きがあり、読んでから入場するように指示がありました。
入場したしばらく後にイベント運営者の皆さんが登場し、自己紹介とイベントの流れについての説明が行われました。
説明のあと、いよいよイベント開始。
1.神の化身をみんなで崇める
まず、テスカトリポカの化身である宝土さんをみんなでチヤホヤして盛り上がるところからイベントは始まります。
実際には前の年のトシュカトルの祭りが終わった直後にテスカトリポカの化身が選ばれていたようです。
戦争で捕らえられた兵士から選出された化身役は神官から笛の吹き方や話し方など「高貴な者としての振舞い方」を教えられ、一年の間あらゆる快楽を与えられました。
彼は花束を手に、金箔を施した葦のパイプをふかしながらテノチティラトンの町を歩いて良いとされていた、といわれています。
時間になると(事前に観客から募集していた)4人の花嫁役と結婚し、密着してイチャイチャ。周りの雰囲気がさらに盛り上がりました。
四人の女性は
・大地と水の女神 アトラトナン
・塩の守護神 ウィシュトシワトル
・豊穣の女神 シローネン
・開花期と実り多い大地の女神 ショチケツィアル
という女神の役割をそれぞれ担っていたとされています。女神の化身として選ばれた彼女たちはトシュカトルの祭の20日前にテスカトリポカの化身と結ばれ、祭りの5日前からは連日様々な場所に行って歌と踊りを披露しました。
2.神の化身が神殿へ向かう
主催による合図の笛が鳴り響き、いよいよ生贄の儀式が始まります。
観客に見送られながら、宝土さんがゆっくりとした足取りで神殿に向かっていきます。
神殿のふもとにたどり着き、持っていた笛を階段に投げ捨てながら神官たちが待つ頂上へ。
「(テスカトリポカの化身でもある)生贄が階段を一段登るたび、自分が使っていた粘土製の笛を壊していった」というのはアステカ文明に関する文献にも出てくる描写です。「このような風習がどうして生まれ、行われていたのか」を推測できるような資料は無いようですが……
3.神官によるあいさつ
宝土さんの到着後、神官役のいとよさんが観客に向かって語り掛けます。
あいさつは以下のような内容でした。
メシーカの皆さん 今年もこの祭りを無事開けたことを喜ばしく思います。
誇り高き戦士の皆さん、連戦連勝お疲れ様でした。テスカトリポカ様のご加護もあり、この1年で、 2つの都市、5つの部族を支配下に置くことができました。
おかげで、今年もたくさんの血と肉を神に捧げることができそうです。
そろそろトウモロコシの作付けが始まります。私達の肉であり骨であるトウモロコシ。今年もたくさん実るよう、お祈りしたいと思います。
幸い、今回も素晴らしく、勇猛果敢な太陽の子をお捧げすることができます。神様もきっと、喜ばれると思います。
流行り病、我々を脅かす敵対部族の数々。世の中には恐ろしいことがたくさんありますが、神に選ばれた、私達メシーカの民がますます繁栄し、国が食べ物や宝物で満たされるよう、祈りましょう。
これからも、太陽が私達を照らし続けてくれるよう、祈りましょう。
メシーカの民に栄光あれ。
「メシーカ(mēxihcah)」はアステカ帝国を支配していた民族の自称であり、「メキシコ(méxico)」の国名はこれに由来しています。
あいさつの内容は主催者のいとよさんによる創作であり、そもそも神官によるあいさつが行われていたかどうかも分かりません。
ただ、先に述べたように「テスカトリポカは戦争や破壊を司る神でもある」事、「祭りの直前に収穫や豊穣に関係する女神の化身と結婚させている」事などからこの祭りが「自国の勝利を喜び、願う」「豊穣を祈る」性質のものであったと推察することは出来ます。
4.生贄の儀式
神官のあいさつの後、生贄役の宝土さんが石の台の上に横たえられます。
戦士長と神官に扮していた戦争さんとNAKISHIさんが宝土さんの両手両足を抑え、神官役のいとよさんが黒曜石のナイフを用いて心臓を取り出し、太陽に向かって掲げます。
……というのが儀式の内容でしたが、この部分については撮影厳禁(カメラを出す行為自体禁止)となっていたため、写真はありません。
ただ、イベント終了時に行われた(表現をややマイルドにした)儀式の再現の撮影は認められていたため、そちらを掲載しようと思います。
5.特製スープを食べる
生贄となった宝土さんの体は神官と戦士長に抱えられるようにして神殿から降ろされ、傍らにあった鍋の中に入れられます。鍋の中で体は消え、そこから現れたのは……スープ。
神官のいとよさん「太陽の子の血と肉が入った縁起物のスープができました。みなさんで頂きましょう」
このスープは「ポソレ」という名前のメキシコ料理として現代に伝えられています。
処理したトウモロコシの実を乾燥させて作った「ホミニー」と呼ばれる食品に肉(一般的には鶏肉や豚肉)を加えて味付けし、千切りレタスやキャベツ、唐辛子、玉ねぎ、にんにく、大根、アボカド、サルサ、ライムなどを添えて食べられており、祝祭の時などに提供されている料理とのことです。
参考:Pozole – Wikipedia Hominy – Wikipedia (ともに英語版の記事)
イベント内や本文では直接言及しませんでしたが、実際にアステカでは心臓を取り出したあとの生贄の肉を食べる行為が行われていたそうです。
理由については様々な解釈がされていますが「神に捧げられた人間の肉を食べる事によって神と食事を共にしようとした」とも考えられています。
6.集合写真
集合写真を撮り、イベントは盛り上がりのうちに幕を閉じました。
正直な思いを書きますが、筆者は取材の間じゅう得体の知れない感情に襲われ続けていました。「動揺していた」と言っても良いのかもしれません。
「生贄の儀式」というものがかつて存在していたことは知識として知ってはいましたが、その具体的な内容をイメージすることすら今までの人生で一度もしていなかったように思います。ましてやそれをバーチャルリアリティの世界で「目撃」してしまったのですから……。
「アステカの人たちはこの儀式を、この空をどんな思いで見ていたんだろう」
そんなことを考えながら、儀式が終わった神殿の空を写真に収めていたのを覚えています。
主催者・生贄役にインタビューしました
このようなイベントはどんな経緯で開かれ、どんな苦労や思いが込められていたのか。
主催者のいとよさんと生贄役を演じられた宝土蓮華さんにインタビューしてきました。
ーまず主催者のいとよさんにお聞きします。アステカ文明を取り上げたイベントを行うに至った経緯や動機はどのようなものでしたか?
学生の時に 大英博物館に行って、そこにアステカ文明の展示物があるとは知らずに回ってたら、テスカトリポカの仮面っていうことで、これ(下の画像参照)が展示されていて。その実物を見たときとてつもない衝撃を受けたんですね。
かなり印象に残っていたというところがまず、昔にありました。
で、VRChatを始めて2、3 ヶ月ぐらい経った時だと思うんですけど、なんか「VRの世界ではなりたい自分になれる」みたいなのが時々Twitterで定期的に盛り上がるじゃないですか。「じゃあ自分が何したいか」っていうふうに思った時に「アステカの神官の格好とかもうバーチャルだったらノーコストでできるじゃん」みたいな感じで思いついてたんですね。もう去年の4月ぐらいから。
その時からいろいろやってはいたんですけど私の技術が足りなくて実現できなくて。
他のいろんなワールドとかアバターとかを改変したりしていくうちに徐々に技術が付いてきて、「他のイベントとかも開いたら結構いろんな人が楽しんでくれた 」という経験もあってですね。
「せっかくアバター作るんだったら、アステカのお祭りも再現したら面白い体験ができるんじゃないの」というふうに思ったのが経緯になります。
いとよさんはこれまでに
・VRChat内にお墓を建てる「仮想山 観心寺(けそうざん かんしんじ)」
・「ロッカーの中で他人と密着できる」というコンセプトの「放課後のロッカー」
・アメリカ独立戦争が起こるきっかけとなった「ボストン茶会事件」を再現した「BostonTeaParty」
などの多彩なワールド・イベントを手掛けてきました。
「ボストン茶会事件」を再現したイベントの模様はこの「バーチャルライフマガジン」でも紹介されています。
参考:コミカルに歴史追体験!「海を紅茶で染めてやれ!」ボストン・ティーパーティーに参加してみた
ーイベント開催にあたり、どのような準備が行われたのでしょうか。
基本的には公開情報とかネット情報で。(web上に公開されている)論文が結構たくさんあって、どれも祭りの詳細を簡潔にまとめてくれているのでまずはそれをひたすら読み込む、という期間がありました。「どういうワールドを作ればいいのか」っていうイメージを膨らませる段階ですね。
これが結構きつくて。祭りの内容が結構しんどいので、まず資料読み込みの段階で2回ぐらい「これをやるのか」って、心がしんどくなって挫折しかけるというのはありました。そこでちょっと時間がかかってしまったのはあります。
いとよさんに教えてもらった論文の一つがこちらです。(Web検索でも出てきます)
アステカの人身供犠に関する一試論
(著:佐藤孝裕 別府大学アジア歴史文化研究所報 16号(1998年12月発行) 48-67ページ)
アステカで行われた様々な人身供犠(いけにえ)の儀式の詳細は51-58ページ(pdfファイルの3-11ページ目)にありますが……トシュカトルの祭りがまだましと思えるぐらいの残酷さを感じる内容となっています。閲覧の際は本当にお気をつけください。
次はアバターに着手して。「コーデックス」って絵文書がたくさん残っているので、アステカ人が書いたのもあればスペイン人が書いたのもあるような、当時の絵を読み込むわけですね。
そうしたらそれはそれで、もうわけがわからないんですよ。「これ何がついてるの?なに?」みたいなところから始まって。完全再現は絶対に無理なので、自分の中で解釈しながらデフォルメしていくみたいな作業にも結構時間がかかりました。
最後にこの(イベント会場となった)ワールドを作ったんですけれども、スペイン人が当時、徹底的にアステカの文明を破壊したせいで当時の建物がどんな感じだったのかっていうのがそもそも調べても出てこない。
ピラミッドって沢山ネットで売ってるんですよ、3Dアセットでも。でもなんかどれもこう半分、廃墟みたいになってて「遺跡じゃん」みたいなやつしかないんですね。それか変におどおどろしくデフォルメしたようなやつしかないので、当時はどんなふうだったんだろうとか「漆喰が塗られていた」とかそういうの調べたりしながら作っていって。
ーどれぐらいの時間が掛かったんでしょう?
三か月ぐらいですね。
ー今回のような、現実社会でも「残虐だ」などの理由で再現が難しいであろう内容のイベントをVRで行う意義はどんなところにあると思いますか?
後付けではあるかもしれないですけれども。
告知のポスターにも書いていた通り、なんかこう非常にアステカ文明って色物感っていうか、あまりにも常軌を逸してるのでとにかく「狂った」感じで描かれやすいんです。
けれども、別にこれはアステカに限らずですけど、絶対に何かしらの理由とか合理性があってそれをやっているわけで。じゃあ我々の価値観からしたら「頭おかしいことやっている連中」と同じことをやってみた時にどう思うのか、というのはみんなで体験してみたかったところがありますね。
外国人から見たらちょんまげって「格好悪いし、何考えてんだあいつら」って。でも我々日本人からすれば完全に理解はできますよね。それと同じことはアステカにもあると思っていて。ただただ「残虐」「グロテスク」って感じで扱われがちだけど、その文化の内側の人間になれば多分別のものが見えてくると考えてます。
これは意義というよりは個人的なものですけど、テスカトリポカの仮面を見た時感じた心の震えみたいなものを一緒に感じてもらえる人を増やしたいというか。
同じものが好きとか同じものを感動できる人たちが、やっぱりイベントやってると集まってくるんですよね。それがやっぱりVRChatの一番の魅力じゃないですか。職場でアステカの話しても誰も興味ないですけど、こういう風にVRChatでやると、同じ感性とか同じものを見て感動できる人が集まってくるっていうのはすごい楽しいですよね。
ー宝土さんは何か思うことなどはありますか?
「難しいこと知らねえ!楽しいからやるんだよ!」っていうのが本音なんだけど。
VRだと手が動かせたり物をつかんでどうこうとか、接触が伴ったりとか 「演技ができる」っていうのがあって。
今回みたいな「(4人の妻を)侍らせてガハハ」みたいな演技ができたり身体表現ができるっていうのがあって、それでそこから実際にここ(神殿)を登っていくっていう風になって、「これで俺の人生もおしまいかー」みたいな、こういう感じが表現できて。多分見てる方も「ああ、これからあの人死ぬんだ」みたいな、高揚感だったりある種虚しさみたいなのを実践的に感じることができると思うのね。
最近だと体験学習とかなんとか言ってるけど、体験って「百聞は一見にしかず」じゃないけど経験として大きいし、そこが次の興味へのフックにもなると思
うしっていうのがあって。
やるとやらないとじゃあ多分結構違うと思う。その内から湧き出る高揚感とか寂しさみたいなものは絶対に文献からは得られないものだから。っていうのがまあ、このVRChatみたいなところでやる意義なんじゃないかなと思います。
ー生贄役の宝土さんをはじめ、3名の運営スタッフはどのような経緯で集まったのですか?
私が完全に一人で集めたんですけれども、まず最初、身内(いとよさんが所属している哲学対話界隈(※)の人)に「こういうイベントをしようと思う」っていうのを話した時にその生贄役を引き受けてくれる人が身内にいなかった。
このトシュカトルの祭りは前半パートでいかに「神の化身」として振る舞ってみんなを楽しませるかっていうのが結構大事になってくるので、「そういう役回りをうまくやれるのはここ(哲学対話界隈)にはいない」って言われて。
中には「ちょっと止めた方がいいんじゃないか」って言う人も居たりしたので どうなるのかなと思いながら。
でも「これをできる人はまずは蓮華さんだろうな」っていうことで、最初にお声がけしたら即決で 「何でもやるよ」とおっしゃってくださったんで。
蓮華さんはいとよさんの「仮想山 観心寺」にお墓を建立してもらっており、それが縁で以前からつながりがあった、ということです。
(※)の「哲学対話界隈」について後日いとよさんに詳しい説明をお願いしたところ、
「『ぽこ堂』という(VRChat内にある)哲学対話用のカフェワールドで、学問的な哲学ではなく日常の疑問や感じたことについて極力専門用語を使わずに対話形式で話し合い、様々な人の価値観や経験談に触れることで知的好奇心を満たし合う人たち」
です、とのことでした。
NAKISHIさんは哲学対話界隈で一緒に遊んでいる人で、最初にイベントの計画を打ち明けた時に「受け入れられるかどうかわからないけれども間違いなく歴史には残るはずだ」っていう風におっしゃってくださったんですね。
その後イベント用のワールドが完成した時にお呼びして、ちょっとデバッグも兼ねて遊んだ時に「生贄の胸を捌くときに手足を抑える役がいた方が臨場感出るのでお願いできませんか」っていう軽い気持ちでお願いしたら、ガチのジャガーの戦士のアバターを自作して当日来てくださって。
戦争さんは(開催1週間前の)Twitterの告知で初めてイベント内容を知って連絡をくださったんですけれど、「なんかお手伝いできることありませんか」っていう風におっしゃっていただいたんで「実は手足を抑える役もう一人必要なんでお願いします」っていう感じでお願いしたら、すぐに快諾いただいたって感じです。
ーここからはいとよさんと宝土さんのお二人に質問します。
お二人はイベントで神官役と生贄役を演じられたわけですが、どんな感想を持ちましたか?
まあ夢中だったというのはあるんですけれども、あえて心がけていたということで言うと「狂ってる感」を出さないように気を使いました。毎年やってることで当たり前のことでやっていると。
当時は多分もっと、タバコの葉っぱなどを用いて酩酊状態になりながら儀式をやってた可能性はあるんですけれども、今回は日本人から見てすごく通常の雰囲気でやる、というところを心掛けて思いながらやっていました。
ー「神官」という役を演じていての感情とか意識したこと、という面ではどうだったですか?
一つはやっぱり「権威」ですよね。
私は一番このトシュカトルの祭りでかっこいいなって思ってるシーンが、他の祭りと違って生贄が無理やりピラミッドの上に連れて行かれるんじゃなくて、自分の運命を受け入れた生贄自らが一段一段上がりながら登っていくっていうシーンだと思うんですけれども。
その時に悠然というか堂々と見下ろす姿に、全体としての一つの絵っていうか、その演出みたいなのをできるように。
ー宝土さんはどうでしたか?
感想としてはね、うん、「苦労した」っていうのをw
まず(前半のシーンで)「ほらもっとやれーもっとやれー」ってやらないといけないっていうのがあるから。
そこさえ上手くやればあとは流れでついてきてくれるの。ただそこが上手くできなかったら正直これ「え、何これ」になりかねないの。最初のポイントをどう盛り上げるか、みたいのにけっこう頭使った。
で、「じゃあ(神殿に向かって)歩きます」っていう風になった時はなんかね、こう「行くぞ」「くそう」って自分の中で入れ込んで。
多分納得はあるんだけど多少の怒りもあると思う。「なんで俺なんだよ」って。それでパーンって(階段を登りながら粘土製の笛を投げ)つける時に結構思いっきりやって。そういうのはね、自分なりに「こうなんだろうな」って考えてやったやったよね。
死んでから(の動きについて)はもう演技のことなんて考えてないけど、ただそれまでの心情とかは割とリアルにイメージするようにはしました。多分イベントやってる人はみんなそうだと思うけど、リアリティがないとみんな乗っからないし。
だからこっち(イベント前半)は割とキャスト的な動きをして、こっち(後半)はもう本当にロールプレイ、役者みたいな感じでやったって感じかな。
ーイベントの前後でアステカへの印象に変化はありましたか?
「イベントをやりきったな」っていう気持ちしかないんですが、主催として思ってたより皆さん全力で楽しそうにしてくださって。
それは本当に楽しんでいたのか、私が「楽しまないと祭り成立しないので絶対にドン引きするなよ」っていうのを(イベントの)最初に言ってからやったので無理にそうしてたのかわからないですけれども、思ったより楽しそうにされていたので。
人肉食のところも結構引く人いるかなって思ったんですけど、スープにトルティーヤ巻いて食べるところとかも、なんか普通に楽しそうにめちゃくちゃ楽しそうにみんなワイワイやってくださったので。
だから、本当にこの祭りを当時の人として参加してどういう気持ちだったのか、今の我々から見たみたいに「気持ち悪い、残虐」っていう風になるのかどうか、っていう問題意識で始めてやってみたらけっこう皆さん普通に楽しんでいた、というところが発見ですかね。
これについては「直接的な人肉の描写は避けていたことと『スープに浸したトルティーヤを巻ける』といったギミックが一種のオブラートとなったので抵抗感が薄れていたのかもしれない」という指摘が蓮華さんからありました。
心境の変化はね、実は何もないのよねw
「そういうのもまああるよね、こういう部族だったら」ぐらいのそういう感覚だから。
ただ、このアステカのほうと言うよりは「ここに参加してる人たちの方が面白かったな」っていうのが今回の、やった後抱いた感想かなって感じですね。
ー最後に、イベントに参加した人に向けてのコメントはありますか?
「人質を生贄に捧げる」っていうセンシティブなものをやっていて、ずっと自分の中ではそういう大英博物館の経験とかから胸に広げてきた 「好きなもの」っていうのを、受け入れられるかどうかわからないという不安の中で準備をしてきて開催して、本当に皆さん楽しんでいただいて。
最後もTwitterでイベントの感想を書いていただいて、どれ見てもものすごい丁寧に書いてくださっていて。 まず「皆さんにお楽しみいただけた」っていうのが嬉しいのと。
でも実は自分が一番、私が一番救われてるみたいな部分はあるので、「本当にありがたいな」という感謝の気持ちですね。それをお伝えしたいです。
結構みんなノリ良くっていうかそうやっていただいたので、本当に(イベントを)やる方としても楽しくできたし。
「異文化のお祭り」っていうだけじゃなくて、ああいう風に体験するっていう 面白さみたいな、ちょっと刺激の強い教育的な側面もあるから、そういうので色んなことにも興味を持っていただけたらなという風には思います。
やっぱり聞いた知識とか本を読むだけではなかなかね、得られない体験だと思うので。
まとめと感想
「アステカの祭り」は、主催者が自らの受けた衝撃を伝えるべくVRChatの世界にアステカ文明を再現させたイベントでした。
「生きたまま生贄の心臓を取り出し、捧げる祭りが日常的に行われていた」というアステカ文明の風習は現代の私たちから見たら残酷でグロテスクな行為に見えます。
ですが、そのような「異端」の文化について「あれはおかしい、気持ち悪い」で考えを止めず、真摯に向かい合って考え続けることで理解を試みることは可能なのかもしれません。VRChat上でアステカの文化を再現し、体感することを可能とした「アステカの祭り」はそのための良い機会になり得たように感じます。
……ここまで、「自分たちは『異端』ではなく『一般』の側に居る」という前提に基づいて書いてきました。
ですが、視点を変えると筆者のような「VRの世界で積極的に活動している人間」もまた「異端」なのです。現代日本における多数派である「VRに興味も関心もない人たち」から見たら。
アステカ文明はスペインによって滅ぼされ、徹底的に破壊されました。そうなるに至った理由や経緯は一つではありませんが、スペイン側がアステカ文明に理解を示さず「悪魔を崇拝している」などと敵視したことも一因と考えられています。
このような「無理解による敵視」による「異端」の文化の破壊という不幸な出来事が繰り返されないために何ができるのか。「異端」側の文化と「一般」側の文化がお互いに歩み寄ることはできるのか。
そのような問題を考える際、今回の「アステカの祭り」のイベント開催における主催者や運営スタッフの苦悩や努力、工夫の数々は参考になるのかもしれない。そう筆者は考えています。
会場跡のワールド紹介
最後に、「アステカの祭り」の会場跡のワールドを紹介します。アステカ文明に関する説明文も豊富にありますので、良かったらぜひ。
参考文献
『ヴィジュアル版世界の神話百科[アメリカ編]』 デイヴィド・M・ジョーンズ/ブライアン・L・モリノー著 井関睦美/田里千代訳 蔵持不三也監訳 原書房 2002年
『古代マヤ・アステカ不可思議大全』柴崎みゆき著 草思社 2010年
『アステカ王国の生贄の祭祀』岩崎賢史著 刀水書房 2015年
投稿者プロフィール
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もともと 「エイジオブエンパイア」っていう昔の国を自分たちで操作しながらお互い戦い合うみたいなゲームがあるんですけれども、それでもう小学生の時にアステカ文明っていうのを知って。フランスとかバイキングとかイギリスとかそういう国に比べて、アステカだけ明らかにビジュアルがこう、特殊なんですよね。そこに惹かれて。
割とそういう関心は子供の頃からあったんです。