手作りの劇を自宅で体験するその威力──メタシアター演劇祭『真夏の夜の夢』プレ公演レポート

VR演劇『真夏の夜の夢』プレ公演より

「VRで再現しただけ」ではない体験に飛び込もう!

「まるで隣に人物が立っているかのように感じる」という評価は、VR機器が普及し始めた頃から最もわかりやすく伝わる指標のひとつだと言えます。

ヘッドマウントディスプレイの中に空間的な描画を実現することは、平面の写真や映像がどれだけ高精細になろうとも立ち入ることのできない新たな魅力という選択肢を得るに至りました。VRChatなどのSNSに慣れているならば、これらの評価もすでに馴染み深いものとなっていることでしょう。

このことはつまり、本来自宅では体験できないコンテンツが再現可能となったことを意味します。

観客向けの軽い専用アバター(妖精さん)が入口に用意されているのでスペック的にも安心だ!

筆者である私はこの度、2023年11月23日~26日に開催されるメタシアター演劇祭のプレ公演(21日開催)にお誘いをいただき、シェイクスピアの喜劇『真夏の夜の夢』を観劇しました。

劇場ワールドへ入り、目の前に広がる本格的な劇としての空間に触れた時、「これまでほとんど縁のなかった観劇を体験できるんだ!」という、緊張と喜びの混ざった感情を抱くこととなりました。

メタシアター演劇祭で実施される公演のすべては、役者も観客も同じ空間・時間が共有されます。映像配信などによる一般的なライブビューイングとは異なり、自宅にいながら自分も客としてその場に参加しているという感覚が強く、劇場を後にした私は「本当に観劇という経験を得られた」と思えたのです。

幕が上がると、いたずら妖精パックが観客席上空から舞い降りて開演の口上を述べる
さながら歌舞伎のケレンのような表現はVRこそか

実際の劇場へ通われたことのある読者の方にとっては、私がこのように言い切ってしまうのは未熟で失礼なことと思われるかもしれません。それでも、手を伸ばせば届きそうな距離に役者が(映像の中であれ)存在していることや、様々な技術的制約・長時間という環境へ挑戦していることで、危うさを含んだ手作りの魅力を肌で感じられました。このことはいま原稿を進めつつ思い返してみても、少なからず喜びとなって残っています。

本稿では、VR演劇として再構成された『真夏の夜の夢』を簡潔に紹介します。そして、VR演劇が「ただそのままVR上で再現しただけのものではない」と感じる魅力や新たな視点に触れていきます。

このレポートが読者の皆様にとって、メタシアター演劇祭への興味の一助となれば幸いです。

VR演劇『真夏の夜の夢』を体験して

ドタバタ劇の勢いで見逃しがちだが、アバターの表情選びや
役者のアバター操作はその瞬間瞬間で細かく計算されている

あらすじ

VR演劇『真夏の夜の夢』は、シェイクスピアの同名作品を原作とした喜劇です。

親の取り決めた結婚に反して森へ駆け落ちする貴族の男女と、そのふたりを追いかけるまた別の男女。王族の結婚式で行われる劇のために森へ練習へ繰り出す職人たち。更にはいたずら好きの森の妖精に、夫婦喧嘩中の妖精王と妖精王女まで登場。恋する者達のおかしなドタバタ劇…… といった内容です。

妖精王の指示に従って、いたずら妖精パックは「目が覚めたときにはじめて見た者へ恋してしまう」という力を持つ花の薬を探し出します。ですが、妖精王の指示をこれでもかと勘違いしてあっちこっちと薬を使いはじめ、登場人物たちの恋の模様は大混乱となってしまうのでした。

技術的な課題を着実に詰めた成果

VRChatでアバター全身を正確に操作するのは想像以上に難しい
手指や表情の種類が限られる中で通信遅延も含めれば容易いことではない

このように『真夏の夜の夢』は恋の滑稽さを喜劇として描く作品ですが、VR演劇としてVRならではの大胆な表現が取り入れられつつも、1時間程度という無理のない公演時間にうまくまとめられています。昨年に行われたVR演劇『マクベス』の配信アーカイブを視聴していた私は、より磨き上げられたレベルの高さに驚くこととなりました。

役者同士の通信遅延や、細かい身体の表現が難しいという技術的制約があるにもかかわらず、タイミングが重要な「笑いを誘う場面」に思わずツッコミをいれたくなってしまうほどスムーズな表現を実現していたのです。

相手のセリフを待ってから感覚だけで進めてしまえば、間が伸びすぎてしまうはずです。やりすぎなくらい「VRアバターらしさ」を前面に出してみたり、VRだからこそできるおもしろ表現を現代風に次々と繰り出したり、そうした「ゆるさ」に隠れてしまいがちですが、脚本や舞台設計、そして役者同士の演技はかなりしっかりと練られてきたのだろうと感じられます。

そのようにして、一見笑いに頼っているようでありながら真剣味を実感するのは、昨年のVR演劇『マクベス』成功がその土台にあり、強い経験として生きているのだと思います。

私が視聴したのは『マクベス』のアーカイブ動画ですが、そこから比較するだけでも総合的な「視聴のしやすさ」が磨かれていると実感します。ワールドギミックとして用意される舞台の入れ替えが明らかに素早かったのはもとより、効果的に無駄を削った構成で工夫が見て取れます。

VRだからこそ、言わば無限に小道具や舞台装置を用意できるはずですが、『マクベス』の時に比べて潔いほどに『真夏の夜の夢』で使用された舞台背景は少なめです。にも関わらず、場面転換の違和感を持たなかったのは、演技の説得力と脚本の流れが上質だったからなのだろうと感じました。

TRPG向けのシステム「CatsUdon」を活用すれば瞬時に小道具や舞台を生成できる

更に音声への細かい配慮も設計され、役者の声が客席へ均一に聞こえるよう、距離減衰を抑えた構造となっていました。リアル劇場のホールのように遠くから響く感じにはならないものの、舞台袖へ役者が引いた後は音量が半減し、遠くから呼びかけているセリフとしてきちんと聞こえるなど、状態の意図が伝わりやすくなっていたのも感心したポイントです。

こうした技術的なことも含めて、VR舞台だからこその「VRらしい大胆な表現」については、ぜひ劇場へ足を(アバターを?)運んで新鮮な体験を得ていただきたく、ここではネタバレを防ぐ意味でも詳細は伏せたいと思います。

メタシアターの「メタ」な要素を考える

演劇表現からは一歩離れて、ここからは私自身が感じたリアル観劇との考え方の差に触れていきます。ある種の思考実験のようでもあり、VR演劇そのものが本当に新しい挑戦のひとつなのだと感じるきっかけとなりました。

私自身はリアルの舞台をほとんど経験したことはありませんが、リアル観劇にあたっては映画館と同じような意味で気をつけるべき点があるだろうことは想像できます。例えばスマホのスイッチを切ったり、不用意に物音をたてないようにしたり、カメラ撮影なんかはもってのほかですよね。

自由? マナー? 自身への新たな問いかけ

メタシアター主催者 ぬこぽつさん

今回のプレ公演では、メタシアター主催者のぬこぽつさんから事前に「自由に写真を撮っていただいて構いません」と説明がありました。

着席して、はじめのうちはカメラを自分の正面に構えて撮影していたものの、VRChatでは撮影音を消すことはできません。ですので、役者が演技に集中しているというのにパシャパシャと鳴らさざるを得ないのですが「私も取材があるし!!」と自分に言い訳しつつ撮影を継続しました。

すると、次に私はこう考えます。

トラスク

VRChatのカメラは自由に位置を変えられるんじゃないか……?

手元にカメラを持つようにして撮影する機能とは別に、現実世界のドローンのようにして、自分のアバターから離れた位置へ自在にカメラを移動させて撮影できる機能があります。(※他者からはうっすらとレンズらしきものが見えるような表現となる。)

つまり、やろうと思えば観劇中に役者が立っている舞台のド真ん中へカメラを突っ込ませることも可能といえば可能というわけです。実際に本稿の中で使用している写真は私が観劇中に撮影したものですが、私自身は最初に座った席からまったく動いていないにもかかわらず、様々な方向・距離から撮影できています。

こんな演出だってあるのだからきっと許される!

これが映像作品なのであれば、まだこれも許されるかなと思えます。取材班や内部のカメラマンということであれば理解もできます。しかし、実際に長い時間をかけて練習を積んだ成果を今まさに発揮している役者の前でそんなことをしてもいいのか?? という葛藤がありました。

同様に、VRChatには音声ミュート機能がありますので、自分の声を出さないように設定できます。映画ではスマホの電源を切り、電車ではマナーモードにするような感覚で、私は当然のようにミュート機能をオンにしていました。

『真夏の夜の夢』が進み、喜劇として笑ってしまう場面がたくさん出てくると、今度はこのように考え始めます。

トラスク

ぼくの笑い声ってミュートで遠慮する必要あるのか……?

リアル演劇であれば(映画でもそうですが)、面白い場面では観客は遠慮なく笑い声をあげ、それこそが役者にとってのひとつの手応えでもあると言えます。でもそれは、リアルだからこそ防ぎようがないので許されている…… と考えることもできます。

VR観劇の中で私として衝撃的だったのは「笑い声を役者や観客席へ届けるかどうかという判断が観客の能動性として委ねられた」ことでした。そのミュート機能をオフにするということは、自分の笑い声をあえて伝える決断をしたということだからです。

本稿の冒頭で「ただそのままVR上で再現しただけのものではない」としたのは、役者や演技だけではなく、上記のような一歩離れた舞台としてのあり方も新しい視点を取らざるを得なかったからなのです。

もちろん、メタシアター演劇祭では演劇だけではなく、ライブやダンス、落語といった様々なスタイルのパフォーマンスが立ち並びます。それぞれの舞台に対する注意事項はそれぞれで異なってくるはずですので、参加にあたっては事前の説明を確認していただければと思います。

古典的で新しい、そこにしかない価値を掴みに行こう

ともすれば「VRだからこそできること」に目を向けてしまいがちです。しかしながら、それでもメタシアター演劇祭は舞台の上で手作りのパフォーマンスに挑戦している姿をライブで楽しめるので、そこにこそ面白さの主軸があると思います。

リアルの良さと、VRならではの価値とを合わせた瞬間は貴重であるはずです。きっと、出演者達だけではなく、観客として参加する私達にとっても、新しい何かを得られるような時間を過ごせるに違いありません。