【コラム】VRChat『FISH!』の釣りのひとときは、自分に戻るための“間”としても作用するものだ。

話題となったVRChat釣りワールド、『FISH!』

VRChatゲームワールドの『FISH!』をご存じだろうか。

2026年2月28日に公開されたこのワールド、登場からひと月経った今でも入れ替わりの激しいワールド一覧の中、『Popular』『Active』の枠に居続けている。

公開直後はメニューを開いてすぐ見えるバナーにも掲載されていたため、ここ最近遊んでいる人ならば一度は見た事があるのではないだろうか。

『FISH!』の来訪者は6,358,958人、お気に入り数110,113人(本記事執筆時点)。

さらには有志による攻略Wikiまで作られ、かの『Terrors of Nowhere』と同じく「フレンドがそこへ行ったっきり帰ってこない」などXのタイムラインで話題になるほどに、このコンテンツはユーザーの心を掴んでいる。

私は『FISH!』をこう遊ぶ

私もそのうちの一人で、『FISH!』をそこそこ遊ぶ。特に何の予定も入っていない時、ゲームとして本格的に攻略しようとする気はなく、まったりと遊んでいる。

釣りをしている間はステータスを“Join Me(青)”もしくは“Online(緑)”と入りやすい状態にしているが、そこにフレンドが来ても来なくても、どちらでもいい。私にとっては“釣り”を楽しむことが最も重要なのだから。

『FISH!』はデスクトップモードでも遊ぶことができ、釣りを効率的にするのであればむしろその方がいいとまで聞くが、あえて私はVRモードでのみ釣りをする。

VRモードで釣りをするときの、糸を水面に垂らして魚が食いつくまでの僅か十数秒。その間、他の何もできない。他の事をしていてはヒットした時の対応が遅れ、魚を逃がしてしまう。釣りをすることを除き、それは実質的に“なにもしていない”状態といえるだろう。

釣りをしている間は釣り竿、魚、船など、自分の周りで明確に観測できるもの、手が届くものしか存在しない一時的な隔離領域が発生する。

この瞬間は少しだけ特別で、重要なのは釣りをすることによってあらゆるものから自分を切り離せるということ。

例えばチルワールドで安らかに過ごすとしても、一人でいる時は手持ち無沙汰なのでオーバーレイでブラウザを開き、YouTubeで動画を観たり、SNSを眺めたりすることが出来てしまう。

いずれにせよ情報を外から取り入れることには変わらず、ネットの濁流の中を泳ぐことを現実世界と同様に選んでしまう。頭をゴーグルですっぽり覆って入る、せっかくの別世界の中だというのに。

だが『FISH!』で釣り糸を垂らし魚を待つ間の“なにもしていない”時は、ぼーっとしているか考え事をするくらいしか行動が出来ない。

その際に考えるのは自分のこと。例えば生活のことや、これからしようと思っている作業や予定のこと、食べたいもののことなど専ら“自分の足元のこと”だ。

人のこと、自分の手に負えないこと、自分の範囲を大きく超えたこと、世の中の大きな流れのことなどは、この場面では考えない。むしろ、それらから自分を切り離すため今こうして釣りという行動を選んでいるのだ。

釣りをして、ぼんやりと考え事をして、時々私のところに訪れたわずかなフレンド、つまりはネットで見かける遠くの凄い誰かではなく、ネット経由だが身近に感じる友人たちと、肩の力を抜いて気取らない話題で話す。

そうしたことの積み重ねで、自分は、自分の生活は、自分の手の内に収まっていき、やがて自然体へと戻っていくのだろうか。

もしかすると、現実の釣りをするときもきっとこんな感じなのかもしれない。どれくらいの資金や労力がかかるかは、やったことのない身からは想像もつかないが。

私のような、地方にいるくせに持病で体力がなく運転すら出来ない人間だったとしても、釣りの楽しみを部分的に得られるのだ。そう思うとVRChatとは、バーチャルとは本当にいいものだと改めて感じる。

広がる海の青さと落ち着いたBGMが自分を癒し、穏やかな気持ちで自分の足元のこと、自分の内側のことについて考える機会を得る。

『FISH!』は、まるで忙しない日常の中に現れた穏やかなる非日常だ。非日常というものは元々祭りのような賑やかなことを指す言葉だと認識していたが、あらゆるもののスピードが速くかつ大量となった今、それがどこか逆転しているような気がする。

風流を感じる心と、疑似体験という入口

ふと、ずいぶん昔の話だが養老孟司氏の著書『バカの壁』を読んだことを思い出した。

『バカの壁』(新潮社Webサイトより)
https://www.shinchosha.co.jp/book/610003

内容は詳しく覚えてはいないが、確か「現代の人の文章を見ていると、人・人間関係に関する事ばかりで花鳥風月、風情、ゆとりがなくなっている」みたいなことを言っていたような。

その点で言うと、『FISH!』で釣りをする時の私はワールドのアセットに対して勝手に自然を感じている。人の作品の一部でしかないのにそれを見て一方的に風情を感じている。

最近なかなか出会えなくなった風流を感じる心は、どうやら人工物の中にもあったようだ。人から離れ、自分が見ようとすればそこに宿るのだろうか、風流というものは。

自分にとって縁の弱かったものを新たに取り入れるとするなら、その最初の一歩が疑似的なものであったとしても、自分にとっていい影響があるのならば少なくとも悪いことではないはずだ。もしそこから興味を持ったならさらに元ネタの方を深めていくも良し。

たまにはぼんやりとこういうことを考えるのも悪くない。悪くないどころか、むしろこういう場面は時折必要なのではないかとすら思える。

Z世代にまつわる記事を見かけたが、世代がどうとかではなくこういうことは必要なのだろう。

若者の行動を変える「アテンション・デトックス」とは
https://news.yahoo.co.jp/articles/1f8a384468bb3d15b4ba9a57720df020e90e7b9a

とはいえ、私個人としては「だから現代人はこうすべき」といったような温度感で警鐘を鳴らすつもりはない。そういう類の振る舞いはする人も見る人も疲れさせるものなので、よほどのこと以外にすべきではないものだと思っている。

あくまでこれは、私が自分自身に対して抱いた感覚の話とネット上のニュースが紐づいただけの話だ。

おや、何かが食いついてきたようだ。見るからに魚の形をした何かが釣れた。

『Rainbow Gulper Eel』

……すごい色をしてるな。このあたりはゲームとしての味付けの部分だろう。にしても、これはいったいどういう魚なのだろうか。なぜこの名前になったのだろうか。

新しいことを知る入口はデフォルメされたものだっていい。バーチャルは越境するのだ。

『FISH!』はこちらから!

投稿者プロフィール

ゆーてる
ゆーてる広報部隊長(元二代目編集長)
楽しいこと、誰かが頑張ってる姿を見ることが大好きなVRライターです!
ぼく自身もVRChat上でいろんな活動してます!

バーチャルの楽しいことをたくさん知ってもらえるようがんばります!