メタシアター演劇祭レポート3~4日目(後半)!現実では難しい仮想世界の表現だとしても、それを実感するのは現実の自分なのだと感じた話

劇団四等筋 『アイの方舟』 より

哲学型インタラクティブ演劇 劇団四等筋『アイの方舟』

前回に引き続き、メタシアター演劇祭の最終レポートをお届けします!

3日目の最後に入場できたのは劇団四等筋さんによる『アイの方舟』でした。メタシアター演劇祭で用意している360度全方向型の大劇場を使用したインタラクティブ演劇であり、観客は訳も分からず方舟に連れ去られた人類のひとりである…… という前説からはじまります。全方向型の劇場そのものを方舟の中として定義することで、前説の段階から客席が客席でなくなっていく緊張感が広がっていくことに。

劇団四等筋 団長える の前説

メタシアター演劇祭で開催される各種の演目はおおまかなジャンルが示されているものの、どのような演出かは参加してみなければわかりません。インタラクティブ型の演劇とは、ひとことにすれば観客も劇の登場人物として直接関わる要素を持つものです。

近い将来に滅びを迎えてしまう恐れを抱えた人類…… それを危惧した謎の宇宙人が、地球から少数の人類(観客を含む)を方舟に連れてきたのだ、という時点から物語ははじまります。観客側で同席していた出演者がこの状況を理解すべく疑問をはさみながら次々と登場し、次第に劇が問うテーマをはっきりとさせていく、という構成です。

宇宙人(左2名)へそれぞれの立場で意見をぶつけていく

科学的な立場、自然を重視する立場、人へ伝える行為を見る立場…… とそれぞれの生きてきた土台から主張をぶつけあう登場人物たちに対し、宇宙人は「しっかり話し合うこと」を告げてその場から消えてしまいます。

そのようにして残された登場人物…… そして観客である私達は議論を求められるという訳です。この時点で示されている情報は「10年前後のうちに人類が滅びてしまう」という程度のものなので、謎解きをさせようというものではないことがわかります。

大きくて直視すべき問題だけれど、答えがあるとは断言しがたい…… そういったテーマに対して「自分はどう思うか」が参加者である観客へ向けられます。哲学的なテーマなので、参加していた私はこの劇がインタラクティブ型として成功するのだろうか…… といった、半ばメタ的な心配をする感情もあったのですが、程なく意見が飛び出してきました。

「ハート」エモートを出すかどうかは観客の判断に任されている

最終的には、劇らしく音楽を中心として、VRChatのエモート機能を活用した観客参加型の舞台演出という形で盛り上げて終わることとなります。劇のタイトルは『アイの方舟』ですが、その議論の中身は簡単に「アイが答えだ!」と終わってしまう訳ではありませんでした。もしかしたら、もやもやとしたものを抱えたままとなった観客の方もいたのではないかと、ここでは敢えて記したいと思います。

もちろん、VR演劇という挑戦的な舞台、メタシアター演劇祭に参加する幅広い客層、事前にどんな内容かを共有し難い状況、そして哲学的なテーマを扱った劇といった様々な条件から、観客へ行えるインタラクティブ性はそれほど大きく用意できるものではないはずです。あくまでも強制力はなく、発言をしたい観客がいれば行えるタイミングがある…… といった程度でした。

観客(妖精アバター)は自分の意見を自発的に表明していく

『アイの方舟』がどこまでを決定的な脚本としていたのかは、私の視点で確認する術を持ちませんが、結果として「自分たちで真剣に考える」「そうした行為が大事だと伝えようという意志を持つ」といった答えに落ち着いていたと思います。

脚本の途中では、科学的視点と自然的視点の対立といった比較的わかりやすい議論が取り上げられる訳ですが、私自身が『アイの方舟』に参加していて最も大事な体験だと感じたのは、そうした大きなテーマが議論されている様子ではありませんでした。

まさに哲学的な意見が観客へ求められ、意見が交わされる中で「自分も発言すべきか?」「自分だったら何を重視するか?」と、少し焼け付きそうな感覚で必死に頭を回している瞬間こそが、劇を終えた後に最も残るものだったと感じています。

事前に「未来へ残したい写真」として公募された画像が舞台中に展開される
技術的な問題でNowLoadingと表示されてもアドリブで表現に取り入れられる自由があった

私は少し弱気になってしまって結局発言をしなかったのですが、もう少し長めに時間が取られ、発言を促されたら何か意見を言っていたかもしれない、という位には心の準備で緊張感が高まっていたと思います。そして、発言しなかったにも関わらず、短時間の中で私自身が組み上げようとした意見は、私自身の中でより言語化され、固まって残っていた訳です。

私はこのテーマに対し、人間が普遍的に持つ良い面・悪い面を可能な限り理解し、それらはどんな人間でも(自分さえも)備えているものだと受け入れ、それを可能にするための勇気を出すことが大事ではないか、と考えました。こうしたことを、ここに記述できる程度には劇の中で考えられただけでも、強いインタラクティブ性があったのではないかと思います。

終了後の解説でも役柄を崩さない出演者達のプロ意識に脱帽!

劇の後の解説では、脚本は登場人物である役者の個人的な経験に応じて意見が出され、大きく変更された部分もあったとのことでした。役柄としては自然派だったものの、本人の現在としては科学的な視点を重視するようになっていたことで、科学者役とのやりとりに理解を示すようなセリフを入れられた、といった話もあり、答えを押し付けようとするのではなく、自分たちで考えていこうとするスタイルが貫かれていたのだと感じます。

「その目」に焼き付けろ! VRパフォーマンス全力放出

メタシアター最終日の最後を飾ったのは劇団momentさんとNe:MESISさんによる合同パフォーマンスでした。演舞・剣舞・ダンスにバトルと、大きな360度型の舞台を全力で使った、まさに全部出しの迫力演出!!

和洋の雰囲気を織り交ぜ、はじめは静かに・交互に、それぞれメインの演目をひとつずつ披露していきます。ダンスバトルのような雰囲気からはじまった演目は、次第に和装の剣舞へと移り、剣舞は二名の剣戟へと発展します。そうして二組のバトルが次第に熱を帯びていき、それに比例する形でパーティクル演出も豪華に、激しく燃え上がります。

本来のアバターに動作が追従するので巨大甲冑の動きは極めて素早い

剣戟の演出には巨大な甲冑戦士を背後に召喚し演舞と動きをリンクさせつつ、大舞台の観客席上空を泳ぎ回る赤い龍まで登場させるなど、VRChatのカメラ機能だけでは全てを収めきれないサイズとスピード感が展開していきました。

それに対してダンスチームはアバターを非表示にする形で瞬間移動のような演出を駆使しつつ、様々な方角の観客席のごく間近へ次々と迫りながら、激しい技を見せつけていきます。VRでは(特にVRChatだけでは)、本来の人間の細かい動作を再現しにくいという制限があるはずですが、その中でも激しいダンスの技術をしっかりと主張する、VRだからこそ可能なアプローチでした。

演目のラストは全員総出演でとにかく全部出しVRChatのカメラなんか構えてないで、自分の視点でしっかり見るべきと言う他ありません。私は記事のことを考えてしまっていた訳ですが、VRChatのカメラを覗いていると、せっかくのVR空間にも関わらず、結果的に平面の液晶画面を眺めているのと変わらない状況になってしまうので、空間的な感動を見逃してしまう恐れが出てくるのです。

言い訳めいたこととなってしまいますが、正直どうがんばっても画面に収めきれませんでしたので、後半はカメラを収めてその迫力に呆然と眺めるだけとなってしまっていました。

「場が存在する」ことの重要性を示したメタシアター演劇祭

閉会式 配信アーカイブより

メタシアター演劇祭の全公演が終了し、最後は閉会式が行われました。内容は同時に配信され、閉会式の中でその実績も公開されました。

会期中の関連ワールド訪問者数は4732名、実施された公演は30とのことです。公演数はメインのタイムスケジュールだけではなく、新宿でのリアルイベントの中で行われたものなど、関連するものを全て集計したものとなります。

特筆すべきは、このメタシアター演劇祭が個人から発したイベントであるという点です。主催者のぬこぽつさんの呼びかけにより、開催時の段階ではVRChat内で活動する団体の後援などがついているものの、企業的活動ではなく、あくまでも私的活動の範囲において実現した複合演劇イベントであるという事実は驚くべき実績であると言えます。

当初のインタビュー等で触れられている通り、VRChat内の演劇活動について散発的な状況を解決したいという思いは確かに結実したものと、ひとりの観客として参加した私は感じています。

エントランスワールド内で通りかかる人々へ
直接自分の公演の呼び込みを行う団長の姿を見る… なんてこともあった

その大きな理由は、会期中の体験のほとんどが自分の視点だけで見たいものを選んでいたら出会わなかったはずの体験ばかりだったからです。共通の機能やフォーマットを持つ舞台をイベントとして用意することで、出演者も観客も同じ導線に乗って参加しやすくなり、お祭りの中を練り歩くような感覚で「ちょっと見てみよう」という機会を生み、両者を繋げていくという場が確かに機能していました

舞台装置や広報といった、第一次的に劇団運営へ直結しないものの、自分たちだけで実施しようと思えば避けて通れない要素があるはずです。そうした面は、メタシアター演劇祭を通すことで結果的にアウトソースできる構造となっていましたので、参加した劇団の皆様も負荷を効率的に削って演目へ集中できるという良い効果があったのではないかと思います。

もし次回があるとするならば、多くの「表現へ挑戦してみたい人々」にとって、またとない機会として発展していくに違いありません。

すべては「現実の体験」として生きていた

ソロアイドルライブ終了後に紹介される裏方を担う人々の存在に「現実」を感じる

VR空間内での演劇と聞けば、直感的に「VRだからこそできる表現」へ目を向けてしまいがちですが、私がメタシアター演劇祭で出会った演目は、思い返してみればそれらはあくまでも要素のひとつに過ぎないものだったかと思います。

分析しようと思えば、VR空間で実施することの利点や先進的な表現を並び立てることはできるのかもしれません。しかしながら私は、VR空間内での表現を通して現実としての体験を得た、という事実にこそ目を向けたいと感じています。

これまでの人生で演劇への縁がほとんどなかった私が取材を通して「自分も観劇を体験したんだ」と思えた… これだけで、VR空間の表現に触れた価値があったのだと思わずにはいられません。仮想空間とは言え、それを目にするのは現実の人間です。そしてこの仮想空間は単に記録されたものの再生ではなく、同時に異なる場所で誰かが作り上げている瞬間の連続となります。

演目終了後に行われた歓談の場

VRChatをはじめてコミュニティをうまく探し出せなかった当初の私は、ワールドインスタンスという存在がどこか味気ないものに見えていました。それは恐らく単に「記録の再生」に過ぎない仮想空間としてしか見る手段がなかったからなのだろうと思います。

インスタンスに多くの人が集い、その瞬間に存在するパフォーマンスを展開するからこそ仮想空間が現実として生きてくる訳です。その瞬間を集めたものがメタシアター演劇祭なのだとしたら、参加した人々にとって多くの価値を残したに違いありません。

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