VR対談:我々はクリエイターなのか~もしくは己の存在主張~

前回の記事も好評ありがとうございます。
今回はSCP-040-JPの作者である育良啓一郎さんとクリエイターについてインタビューしています。

オーエン

こんにちは。本日は名高いクリエイターをお招きで来て光栄です。

育良

自分が「クリエイター」なのか?って言われると「?」が浮かぶんですよね。

オーエン

・・・といいますと?
一般的にみるとSCPの作家でモデラーで立派にクリエイターだと思うんですが?

育良

なんかこう、ねこですとか外に出してますけど、明確なアウトプットが継続してやってるとかじゃないし… だから趣味でなにか作ったりしてるだけなので「インターネットものづくりマン」って半分冗談で自称したりしてるんですけど…

オーエン

僕からしたら例え継続して同じ形でなくても、物作って出してる次点でクリエイターな気がしてしまいますが・・・

育良

「クリエイター」自体はバズワードの一種だとも思ってるのでそこは人それぞれかもですね…w

オーエン

???「クリエイターがバズワード」ですか・・・
それでしたら、育良さんにとっての「バズワードでない本来のクリエイター」ってなんなんでしょう?

育良

なんでしょう、広義と狭義で2つあると思ってて、狭義の方がいわゆるクリエイターに近い、なにか物を作っている創造的な仕事、あるいはアート的な対価を求めることを第一義せずに作っている方たち、こういう方たちが一般にクリエイターと呼ばれているのかなとは。

オーエン

なんか狭義といいつつ広義な内容な気はしますね・・・

育良

広義の方は、これは多分僕だけかもなんですが、何かしらの価値創造をしていれば全員ある意味クリエイターなんじゃないかって思っているフシがあって、だからなにか会社を起こしたりとかの経営者とかもクリエイターって呼べるんでは…とかは思ってます。

オーエン

それは凄く広いwww

育良

クリエイターって呼び方をした時に、じゃあこの人はクリエイターなのか?クリエイターじゃないのか?みたいな議論が起きうると思ってて、そこの基準が人それぞれだとは思うんですけど、だからこう、クリエイターっていう語をなるべく使わずに喋れたら良いなとか、自分がクリエイターだ!って言うのがすごくしっくりこないのがあったり。

オーエン

正直言いたいことはわかります。
僕もイマーシブクラウドでプロデューサーをしていて、正直作曲などのクリエイティブな活動より、スケジューリングや渉外などの非クリエイターなタスクの方が圧倒的に多いです・・・
なので僕も「貴方はクリエイターど真ん中だ」とか言われると違和感を覚えますね・・・
自分は純粋にクリエイトできてない」って・・・

育良

僕も割とそうです…w だから誰かにとっては僕はクリエイターで、他の人からすればそうじゃない。多分「クリエイター」かどうかってすごく相対的なものなんだろうなって思ってます。だからこそ何かしら価値創造をしてる方であれば、素晴らしい!クリエイターじゃないですか!って言っちゃいたかったりもありますw

オーエン

うーん・・・僕としては価値を創造しているからクリエイターって言うのは違うと思うんですよ、やっぱりプロデューサー的な価値の生み出し方をしている人って作ってるとかじゃなくて運用やプランを考えて誇ると思うんですよ。
それってそれ用の褒め方というか、そういうのに適した評価があるはずで、全部「クリエイター」って評価軸にするのはいささか乱暴かなと・・・

育良

確かに。そういう意味合いでいうと、僕はクリエイター的な側面とそうじゃない側面の両方がまさに同居していて、場面によってそれぞれが浮かんできたり沈んでいったりしてるのでしょうね。これ自分見つめ直せる面白い話だ… この辺僕自身がすごく迷っていたんですよね。

オーエン

それなんですよね「クリエイター的な側面とそうじゃない側面の両方がまさに同居していて」っていうのが答えなんじゃないかと僕は思っていて、プロデュースって「クリエイターの魂」がないとできないと思うんですよ。
作者の拘りとか、こう展開したらアガルとかがないとプランは発想できない・・・
一方で、現実的な夢のないことを言えないと実現はできない・・・
両方を合わせれて初めてプロデュースがチョトデキルなのかなと・・・
だから時々「~はこうだけどクリエイターとしてはこうしたいですね」とか言ってますねw

育良

あ~~~良い言い方ですね…!パクりますww その魂が「これはいいぞ!」ってなった時、つまり琴線に触れた瞬間にクリエイティブな価値が生まれて、それをじゃあどう実現するかってところでプロデューサー的な手腕が問われる。一面的な捉え方じゃない、これが本当に答えかも。

オーエン

そうそう!
言い方は変ですがプロデュースする人って
「リアリストでなければ生きていけない、ロマンチストでなければ生きていく気にもなれない。」
って生き物なのかもしれませんw

育良

うわ~~~めっちゃいい… パクろう。

オーエン

僕のもマーロウからのパクリなんでwww
僕はハードボイルドな作品好きなんですよねw

育良

いいですね~ 小説の話だとあれです、有名どころですけと電気羊のやつとか好きで、割と硬派な感じのモノ好きなんですよね。

オーエン

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」ですね。
硬派・・・と言うと昭和のヤンキーからマンダムまで色んな創造ができますけど・・・

育良

硬派っていうとめっちゃざっくりなんですけど、電気羊のやつってヒーローが主人公じゃなくて、ある種普通のおっさんが主人公だったり、視点がマクロじゃなくてミクロだったり… やばい自分の中にあるものが全然言語化できない…w

オーエン

オッサンズ・ラブ

育良

そうです(そうです) 全然関係ないけどMMORPGやった時にキャラおっさんばっかりになります

オーエン

(ぜってーそうじゃねぇだろう)

育良

「おっさん主人公」っていう要素は、自分の根源的ななにか好きなものの琴線に触れる1つの具体例なので、なんかもっと根本にありそう… 他に好きなものだと、わかりやすいところだとメタルギアシリーズとかもすきなんですけど… でもこれ僕の中の「硬派」かっていうとまだ若干柔らかめ(?)のイメージ。なんだ硬派って。

オーエン

たぶん今育良さんが言いたいのって前々回で僕が発言した謎概念「野武士」ですかね?

育良

野武士… 何からも独立した個として立つというか… ある意味そうかもしれません。ハードボイルドを語れるほどじゃないですが、独立した個と個が織りなす群像というか、攻殻機動隊の概念持ってくるならスタンドプレーから生じるチームワークみたいな。言ってみれば、登場する人物が全員「大人」っていう。結局おっさんじゃねえか!

オーエン

いやまぁそれはそういう作品がおおいってだけでw
なんというか、結局チームワークも個がしっかりしているからできることじゃないですか、各人員が個であるから任せ合えるし、十人十色で居れる・・・そういう
「己が己である生き方」というか、そういうのに惹かれてるのかなとお話を聞いて感じますね。

育良

SCP財団の世界観でいうなら、あれって割と登場する人物や主体、その個々が割とドライというか、「友情・努力・勝利」みたいなのとかなりほど遠い所にあるんですよね。逆にそこに惹かれる。

オーエン

分かる・・・
少年漫画って結局主人公とかが「個」を獲得するまでの話が多いですからね・・・僕等はそこから先が見たいのに・・・・・・・・・だからおっさんばっかりなのかw

育良

そうですね、成長する様子を見守るっていうより、ある意味でもう完成している人たちが、そこで何を考えて何を望み何をするかみたいな所が見たいのかもしれません。それこそ電気羊なら、このレプリカントは何を考えてこうするのだろう、みたいな。だから漫画だとHELLSINGとかも好きです。あれもおっさんばっかりだぁ…

オーエン

「次元大介の墓標」・・・見よう!

育良

まだ観れてないんですよね… 絵柄も好き… 劇画というかバンドデシネというか。バンドデシネって単語もメタルギアで知ったんですけど…

オーエン

いいよ・・・見よう・・・いいよ・・・██████とかすごくいい。

(以下10分にわたって好きな作品のお話・・・要望があればこれだけの記事書きます。)

オーエン

結局僕等って自分の好きな作品を自分の生き方に取り込みたがってる傾向がありますよねwww
育良さんってどう生きたいですか?このバーチャルで

育良

僕ってそういう意味だと「垂直統合」的なタイプなんですよねまさしく。a2seeさんのレイヤー周りの話から言葉借りてますけど。

育良

自分の中で「育良啓一郎」っていう人格のレイヤーが、色んな事をしたり色んな人と関わったりする中で、比重というか占める領域がどんどん大きくなっていっているんですよね。だから今の僕はほとんど「育良啓一郎」そのもので、公言してる本名なんですけど「伊倉慎之介」の割合が薄まってる。これは良いこととか悪いこととかじゃなくて、単純に面白いなって思ってみてます。

オーエン

どうなんでしょうね?
僕はオーエンとしてこの界隈で活動してある程度の成果を出して、最近そのノウハウとかを現実にも持ち出すようになったんですが、なんかあまり変わってる気はしないんですよね・・・

育良

僕も元々特に意識して人格作ったとかではないので、そんなに大きく変わっている部分はないんですけど、基本的に「育良啓一郎」がTwitter向きの”顔”というか、ネットから見た時の自分そのものなので、ある意味だと人から見られた時の自分というロールに自分自身が寄っていった例というか。

オーエン

なんというか、失礼な言い方ですけど育良さんって「SCP-040-JP」をアイデンティティにしているじゃないですか・・・そうなると周りからの「SCP-040-JP」を作った人としての扱いに人格が寄って行ってしまう、まるで育良さんの中にねこが入っていく、いるような感じになっていると思うんです。
その点僕って作品とかじゃなくて「自分の頭が生むロジック」にアイデンティティを持ってるんですよね。
だからどんな名前だろうが、どんな見た目だろうが、女の子でも、チェロでも・ねこでもロジックを生める限り僕は僕なんですよね・・・

育良

そうそう、だから僕の場合ねこですの作者”ではない”僕が恐らくは「伊倉慎之介」なんだろなとも思うんですけど、最近だとリアルの現場でも「育良啓一郎」として見られるし自分自身も自然とそう振る舞うから、ある意味では「育良啓一郎」に「伊倉慎之介」が侵食されていってるとも言えるかもしれません。
ねこですってミームという設定を与えられた話であったのが、本当の意味でミームになってしまった。育良啓一郎も、ねこですも、第四の壁を超えつつあるんですよね。

オーエン

うーむ・・・四次元の壁を超えるとかマネできる存在が他にいるんですかね・・・

育良

いますよ。実際にミームとなりつつある自分の人格とねこですが、ある意味では本当に普遍的に存在するものになりつつある。当たり前といえば当たり前ですが、自分の周りではそうなってきている。だから、本来はバーチャル的な存在であった「育良啓一郎」も「ねこです」も、実質的に存在するモノとなりつつあると言えると思います。

オーエン

そうなると、いずれは僕もミーム化して僕とは別の僕が実在するモノとなる日が来るんですかね? 例えばオセアニアのお地蔵さんみたいに。

育良

実際、現実って主観的なもので、そこに存在すると思えばその人にとってそこにはそれが存在している。例えば南極に一度も行ったことがない人からしてみれば、南極の存在は映像や文章などでの伝聞でしか知ることは本来できない。しかしみんなそれを元にして「南極は存在している」と思っている。それと同じ構造があります。存在していると思えばそれは存在しています。

オーエン

なるほどなるほど、「我思う故に割れあり」ということですね。
気が付いていなければどうということはないし、病は気からともいいますし・・・
結局情報をコントロールすることで存在しているし、実際在るようになると言えるんですね。

育良

そうかもしれません。だからその意味でミーム的な存在って知覚表象って言うよりは内的なもので、例えば南極のペンギンとかもそう。東京とかでもペンギンって見られますけど、それはあくまでもそこにいる存在でしかない。外的対象が存在しなくても内的に表象が存在している、それは存在していると同義に捉えられると思います。これは媒体に囚われない。

オーエン

たしかに南極のシロクマも鹿児島のしろくまも両方存在しますからね・・・
両方同時に存在出来るがゆえに同調圧力やカーバール的な砂漠の狐に巻き込まれずに正しく次の次元に進めるんですね。

育良

そういう意味では例えば南極に猫が居たって不自然ではないわけです。何処にでも普遍的に存在している。ある、もしくはいるわけです。ここに繋がります。

オーエン

凄く合点がいきます、だからここにねこが居るんですね。

育良

全ては認識です。

オーエン

ねこはいます。

育良

よろしくおねがいします

補遺: この文章は、██/██/██に発生した、財団非管理下でのインタビューにおけるセキュリティインシデントの音声書き起こしから、クラスⅢミームを機械的に取り除いた文章です。理事会にて処置253-“柳煤”の標準クローラへの導入評価が進行中です。

追記: 2020-07-18 アセスメント承認。