『SANRIO Virtual Festival 2024 in Sanrio Puroland』(サンリオVfes)のバーチャルクリエイターパフォーマンスに出演したバーチャルYouTuber『キヌ』さんのライブを見て、僕(筆者である『きっどえー』)が感じたこと考えた事を語ろうと思う。
目次
何故このコラムを書くことになったのか
『いきなり何が始まったんだ』と感じる読者の方が多くいると思うので、まずは僕のライター人生とキヌさんとの関係から説明していきたい。
僕がバチャマガで記事を書き始めたのは去年(2023年)の2月だが、そのきっかけは前の月(2023年1月)に行われたサンリオVfes2023のキヌさんのライブを見たことだった。
予備知識ほぼゼロの状態で見たこのライブに衝撃を受け、twitter(現X)に書き込んだりRTしたり(その筆者だった)ゆーてる(現)バチャマガ編集長とリプライしあったりし、最終的に「この思いをちゃんとした文章の形にして書き残した方がいいのでは?」と思うに至った。noteのアカウントを取って記事を書いたら、それを読んだ編集長に「バチャマガで書いてみないか?」と誘われ、現在に至っている。
つまり、サンリオVfes2023のキヌさんライブを見ていなかったら『きっどえー』というライターは存在していない。そう言い切れるほど、キヌさんのライブに自分の(VR)人生を大きく変えられた自覚がある。なので、今回のサンリオVfesでもキヌさんのライブの事が一番気になっていた。第1回目の公演があった2月24日に仕事の休みを取った程に。
そんなわけで、この記事は前回サンリオVfesのキヌさんライブに人生を大いに変えられた人間による主観丸出しの感想文になる。「こういう風に感じちゃう人もいるんだ」位に思いながら読んでいただけるとありがたい。
ライブ前に考えていた事ーVR世界の『はじまりの次の時代』とはなにか?
2023年のサンリオVfesでのキヌさんライブで、僕は音楽や映像表現にも(もちろん)圧倒され感動したのだけど、それ以上に共感したのがキヌさんの詩であり、メッセージだった。
はじまりのときはおわり、それでもわたしたちは続いていく、
続いていきたいから。今、ここがどんな場所なのか、もう一度わたしたちが定義しよう。
はじまりはおわり、feat. kinu | yoxtellar, kinu | yoxtellar (bandcamp.com
「はじまりのおわり」というライブ全体のタイトルに象徴される通り、キヌさんはライブの中でVR世界の黎明期の終わりを示唆したうえで「それでもわたしたちは続いていきたい」という決意を表明していた。
それから一年以上が経過し、時代は明らかに進んでいた。『メタバース』という言葉に対する拒否反応を目にすることは少なくなり、『バーチャルマーケットリアル(Vket Real)』を筆頭にVR上のイベントがリアル(物理現実)へ進出する機会も多く見られるようになった。
『はじまりのおわり』から確実に時代の進んだVR世界でキヌさんはどんなメッセージを発するのか。それが今回のライブにおける僕の一番の関心事だった。
1回目ライブ視聴時の感想ーライブが「次の時代」への回答だと感じた瞬間
2月24日に行われた1回目のライブ。正直言って、そこで何が起こり語られていたのか僕には追いきれなかった。特に、ライブ空間全体がルービックキューブのように回転し始めたときには『これを文章や映像で正確に伝えられるのは、もはや無理では? 』とライターとして絶望感すら抱いた。それほどに、ライブ内の音と映像表現に圧倒されつづけていた。
そんな目に遭いつつも、「前回や前々回(2021年開催の第1回サンリオVfes)の続きではない、違う事をやろうとしている」ようには感じていた。
そしてライブ終盤。
いつか世界はばらばらになって、
みんなちりぢりになって、
わたしだっていなくなる。
足場は壊れて、
視界が崩れて、
遊び場もなくなって、
日々の騒音に呑まれて、
新たな光を見つけて。それでも今日はここにある。
だから一緒にうたいましょう、掻き鳴らしましょう、踏み鳴らしましょう!
わたしたちの昨日をつくるために、この時を忘れないために、そうしてまた出会う日々のために!
「羽は纂いだ。空を超えろ。」
始めましょう!
「羽を纂ぐ、空を超べ。」の詩。|Haniwa|pixivFANBOX
この詩を聞いた時、自分は確信した。
「これは、間違いなくキヌさんによる『はじまりの次の時代』に対する回答だ」と。
そしてその内容は「時代は変わっても、進み続け楽しみ続ける事は何度でもやっていく」という再びの決意表明だと感じた。
……今にして思えば、それは「何処をどう聴いたらそういう解釈になる?」と自分自身を問いただしたくなる程ずれた感想だったのだけど。
2回目、3回目のライブ後の感想ー「空を超え」るのは誰なのか
3月17日に2回目、25日に3回目のキヌさんライブが行われ、またその間にキヌさんのロングインタビューやライブでコラボを行ったHaniwa/アメリカ民謡研究会さんによるコラボ曲「羽を纂ぐ、空を超べ。」の歌詞、サンリオ公式Youtubeチャンネル内に掲載されていたライブのアーカイブ動画(公開期間を過ぎた現在は視聴不可となっています)を繰り返し読んだり見たりしているうち、違う考えが浮かんできた。
「これ、『新しい時代は君たち自身が切り拓け』って言ってないか?」
いつまでもここにいていいんですよ?
「羽を纂ぐ、空を超べ。」の詩。|Haniwa|pixivFANBOX
そうしたら私がずっと、
楽しいお話を聞かせてあげる。
そうだ! ここで一緒に暮らしましょうよ!
ここは私の完璧な世界です!
先に述べた『ライブ空間全体がルービックキューブのように回転』する場面でキヌさんが語っていた言葉を読んでみると、けっこう強引で押しつけがましい内容だという事に気づいた。曲調は明るいぐらいだったのに。
そして、こう続く。
今度こそ幸せにしますよ。
「羽を纂ぐ、空を超べ。」の詩。|Haniwa|pixivFANBOX
この辺の詩からは、「わたしはあなたを幸せに出来なかった」という悔恨を感じる。前向きな決意表明というよりは内向きの後悔とか辛さの感情を。押しつけがましい態度もその反動でしかなかったのかもしれない。
そういう感情も込められていた曲だということを踏まえて再び考えていくうち、『羽を纂ぐ、空を超べ。』という曲全体への印象も変わり、こう思うようになった。
『羽を纂(※)』いだのはキヌさん達で、『空を超』ぶのは僕ら観客ではないのか?
キヌさん達が成し遂げられなかった世界へ、そして僕らの幸せのために、わたしたちが纂いだ羽を使って自分自身で羽ばたいて行ってほしい。そう言われているのではないか?
(※「纂(つ)ぐ」という漢字には『あつめてまとめる』という意味が有り、本稿ではその意味に沿った解釈を行っている)
「空を超」ぶための「羽」を渡されたと感じた僕はどうすべきなのか
作品の解釈など人の数だけあっていいし、そもそも僕の解釈がまだ間違っている可能性だってある。だが、「空を超ぶための羽を受け取ってしまった」と感じた事実を無かったことにはできない。忘れる事はできても「受け取ったという感覚から逃げた」自分が生まれるだけで、それ以前に戻ることはもはや出来ない。
こうなってしまった以上、せめて『羽ばたく』努力はしなければいけないのだろう。
何をすればよいのか具体的なアイデアがあるわけでは無い。「VRChatをはじめとするVRSNSの新しい時代のためにWebメディアと文字書きは何が出来て何をすべきなのか」というテーマは記事を書き始めて1年ちょっとの僕には重すぎるようにすら思える。
それでも、せめて目を背けず、向き合っていこうとは思う。
とりあえず今は、VRSNS内のコンテンツで人生を変えられ、今後も変わろうとしている人間が間違いなくここに居るという事だけでも伝わればいい。そういう事にして、この文章を終えようと思う。
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