伊達焼き屋の、バーチャルなるままに。第5回~矛盾を超えて進歩せよ。publicは危険なところ?~

どうも、バーチャル世界で自分の存在のみを貸し出すVRCなにもしない人こと伊達焼き屋です。

普段はゲームワールドの人数合わせ、一人だと行きにくいイベントの同行、話し相手などを「存在貸出依頼」として受け付けながらバーチャル世界をなにもしないで生きています。

各VRプラットフォームをうろついて、そこにいる人達と曖昧に接触してそこから得た知見や発見を気が向いた時に文章にしてバーチャルライフマガジンさんに寄稿しています。

今回は「実際publicワールドって危険なところなの?」って話をしたいんですが、それを語るには準備が必要なのでまずはそこらへんから話していきましょう。

では本編。

幸か不幸か我々は自我を持って生きており、意識や常識を通しながら世界をみています。
意識や常識とは、自分が周りと衝突したり嫌な思いをせず穏便に生きていくにあたって必要なものだったり備えておくと便利な思考の事ですかね。社会への”認識”ともいいましょうか。

この”認識”を持ちながらワイワイ生きている訳なんですが、突然その認識と矛盾する認識が飛び込んでくる時があると思います。

例えばあなたが「猫は大人しい」という認識を持っていたとしましょう。
朝、会社や学校へ向かう途中に猫を見かけてラッキー!と思ったあなた。
時間にも余裕があるので猫に近づいて手を差し伸べると、猫があなたの手にパンチを繰り出してきました。するとあなたは「猫はパンチしてくる」という「猫は大人しい」とは矛盾した新しい認識が手に入ります。

「猫は大人しい」という認識は正しい認識でありますが、それと同時に「猫はパンチしてくる」という認識もまた正しい。つまり相反する二つの正しい認識が自分の中に現れてしまいます。
そうなるとあなたは「大人しい猫もいるけど、パンチしてくる猫もいるんだな」という矛盾を解消したよりハイレベルな認識を手に入れます。

…いやそんなの当たり前じゃん!って話なんですけどもう少し読んで。

つまり、我々人間は持っている認識に対し相反する認識をぶつけることで、より高度な認識へと高めながら進歩しているということ

冒頭で書いた「必要な準備」とは、この認識を説明することでした。

白か黒、マルかバツ、どっちかだけで判断するのではなくグラデーションのように滑らかな判断をしてみましょう。矛盾する二つの正解をどう処理し高めていくのかが問題です。

「猫はパンチしてくる」認識を破棄する選択肢もあります。
自分が正しいと思っていた認識を真っ向から否定する認識を受け入れるのはとても苦しいです。

例えば「私は学校で一番テニスが上手い」と認識があるとしましょう。ですがスポーツ万能スーパー転校生が来たせいで「私よりテニスが上手い奴が学校に居る」と矛盾した認識が出てきます。スポーツ漫画によくある展開ですね。
“元”一番テニス上手い奴は相当悔しいし、プライドに傷がつくし、「じゃあ俺は二番で!」とすんなり受け入れられるものじゃないと思うんですよ。
そこでテニスを辞めてしまう選択もできます。テニスを辞める事で「私よりテニスが上手い奴が学校に居る」認識を捨てられる。

それでもテニスを辞めずにまた一番に返り咲くためにめちゃくちゃ練習するとか努力をしようと思えれば「練習すれば学校で一番テニスが上手い奴」って認識が手に入るわけです。
そうやってキャラクターが成長していく姿って王道でカッコいいよね。

先ほど書いた通り、人間は持っている認識に対し相反する認識をぶつけることで、より高度な認識へと高めながら進歩している

この考え方を難しい言い方をすると弁証法というらしいです。詳しく知りたい人は調べてね。 


前置きが長かったですね。本題に入りましょう。

publicワールドは危険がいっぱい説、定期的に盛り上がりいつの間にか過ぎ去る様子は移り変わる春夏秋冬。バーチャルの四季だと勝手に風情を感じています。

道端にタンポポが咲いているのを見てもう春だな~と思うように、ネガティブな話題にも何かしらの”知らせ”があるものです。「アバターを盗まれました」「怖い思いをしました」「不快な表現を見かけました」辺りはよくある”知らせ”ですね。タンポポはSNS上にも咲くらしい。

こんなツイートが拡散されているとして、あなたはそれを目撃したとしましょう。

publicにいた○○さんにjoinして話してたら、いきなり知らない人に嫌な事言われた。
○○さんが注意してくれたけど全然やめないから○○さんと一緒に移動した。
publicなんか行かないほうがいい。

※フィクションです。このツイートは存在しません。

この方は非常に辛い経験をしたと思います。フレンドと楽しくお話してるだけなのに、全く無関係なユーザーによって尊厳を踏みにじられた訳ですから。「publicに行かないほうがいい」で文章を締めるのも当然でしょう。

このツイートから「publicには嫌な事を言う奴がいる」と認識を持ったあなた。
しばらくして、こんなツイートも流れてきました。

publicで知らない人に話しかけられたんだけど、私のアバターがスゴイ可愛いって褒めてくれた!初めての改変で色変えとアクセサリーつけるくらいしかしてないけど嬉しかった!

※フィクションです。このツイートは存在しません。

微笑ましいツイートですね。自分のアバター褒められるのってテンション上がる。

ここで「publicでは嫌な事をいう奴がいる」認識と矛盾した「publicでは嬉しい事をいう奴がいる」新しい認識が入手できました。どちらの認識も事実なのでこの二つは”正しい認識”です。
二つの正しい認識をぶつけ合い、「publicには嫌な事をいう奴と、嬉しい事をいう奴がいる」という進歩した認識が手に入るでしょう。あなたは今まさに成長している。

結論「publicは危険なところなのか」は、その人が持っている”正しい認識”の数だけ回答がある
二つある回答のうち、片方が正しくてもう片方が間違っているのではなくどちらも正しい。

まぁ危険かどうかなんて「その人それぞれじゃん」で片づけられてしまうような事柄なんですけど、バーチャル世界もリアル世界もそれほど大きな違いは無くて、むしろ最近の傾向としてリアル側の価値観に寄ってきてるからリアル世界の人間ががどうやって物事を判断して自身に落とし込んでいるのかを今の内に理解しておけば、バーチャル世界でも役に立つ機会はきっとくると思う。

“正しい”が複数存在するという矛盾を超えて進歩せよ。

VRCなにもしない人
dateyakiya