サイレントクラブと非言語コミュニケーション – タロ日記

この日記は僕が2月8日に書き記した日記のアーカイブです。

2/8 サイレントクラブに初めて参加した。 

ここは、強制ミュートによって会話ではなく会話以外の部分でコミュニケーションをする。といったコンセプトのワールドなのだが、端的に言うと非常に良かった。

形式はよくあるクラブなのだが、日ごろのVRCが会話を主体としたコミュニケーションばかりだったため、ボディランゲージの身をかわしてコミュニケーションを「とらなければいけない」という状況は非常に新鮮なものだった。

非常に感覚的なのだが、ボディランゲージのみを使用したコミュニケーションを行っている間は、言葉を以て接しているときよりも相手により親密感を感じた。

というのも、それは絵画や音楽そしてダンスなど、「アートに国境はない」と呼ばれているそれのような気がして、その人の立場や思想、所属などの制約が一切なく、非常にフラットな立場でのコミュニケーションが可能だったからだ。

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 その後、ファンタジー集会場に向かったところ、普段よくお世話になっている古紫さんがパフォーマンスをしていた。

彼女は言葉を交わすことなく無言でパフォーマンスをしていたのだが、大勢の人が彼女の周りにいて、思い思いにコメントを残していた。

その光景と、僕の感じていたインターネット性は一致していて、僕たち観客側は、古紫さんを通じて一つの共同体と化していた。

初対面にもかかわらず、彼女の演技を通して言葉を交わしあい、意識を共有しあっていた。 それはサイレントクラブと非常に通ずるものがあって、「一つの中間媒体(メディア)を通して、会話をする」といったことなのだろうと思った。 例えば2ちゃんねるやニコニコ動画もその一つだろう。

スレッドタイトルや一つの動画・生放送、そのコミュニティが何について話し合っているのかの軸が明確で、そのうえで今現在話がどういう風に広がっているのかがわかる。 一種のフィルタリングのようなものなのだろうが、やはり主題が何なのかが明確だと、いかに会話の内容が膨らんでいようとも、会話に入りやすいと僕は思う。

コミュニケーションとは、人のことを理解するとはなんだろう。

けれど、個人の思想や立場に関係なく会話ができるこの空間は、とても居心地が良くてとても素敵だった。