東京に雪が降ったとTwitterが賑わっていた。
僕が住んでいる地域は毎年身の丈以上の雪が積る地域なので天気予報が雪だとテンションが著しく下がる。雪がドカンと積もる度に「雪を箱詰めにして“雪の女王になりたい方へ!”と販売したら送料別でも買ってくれるのでは」という幼稚な雪ビジネスを妄想したりする。雪だって毛嫌いされるより求められたほうが嬉しいだろう。
が、今日の僕は雪を少しばかり求めている。
なぜなら最近買った赤の冬靴がかなり気に入っていて、その靴を履きマスクでメガネを曇らせながら寒い寒いと外を出歩く大義名分が出来るからだ。
散歩はスゴい。歩くだけなら基本無料だし運動した気になるし頭の中がスッキリする。
日本がひとりで外をブラブラ歩けるくらい平和な国で良かった。
ワイヤレスイヤホンから好きな音楽を流しピカピカの靴でまだ足跡がついていないまっしろな道をキュッキュッと踏みしめる。
せっかくだし少し遠い図書館まで行こうかなと考えていると、まだ足に馴染んでいない為か靴の履き心地が左右で一致しないのに気づいた。
なんとなく右のほうがズレているような気がする。
一度違和感を覚えるとそれがずっと気になってしまい、その違和感が解消されるまで小さいストレスが散歩中ずっと続くのは嫌だったので右の靴紐を結び目を解いては結ぶを数回繰り返した。
ズレるというワードから連鎖的にモナリザが思い浮かんだ。
モナリザは左半分だけ微笑んでみえるから魅力的にみえるとか、右半分は男性で左半分は女性の顔つきという説があるとか、無駄な雑学がフワフワ脳内を漂う。
“ズレる”は人間の感情を刺激する。
モナリザは左右の表情にズレがあるから多くの人を魅了させることができた。
バーチャル世界には美少女が比較的多いが、その美少女からは大体おじさんの声がする。
「おじさんの声がすると、より美少女が可愛く見える」と話す人もいる。
外見と中身から発現する認識のズレによるものだとすると、おじさんの声がするバーチャル美少女はモナリザと同じ魅力を持ち合わせているという事になる。
モナリザには6億5000万ドル相当という世界最高クラスの保険価格が設定されているらしいからバーチャル美少女おじさんには実質6億越えの価値があるのか。
いや待て。“ズレる”のは苦しい時があるではないか。
僕は左右の靴の履き心地にズレがあるが故に楽しい散歩を一時中断してしまった。
苦しいことは誰だって嫌。
ズレが生じる事は辛いことだ。
だから多くの人はズレが生じないよう周りに合わせていく。
丸くなり周りとの摩擦を起こしにくくする。
実際歩きやすいように靴紐を結びなおしたではないか。
「鏡に映る美少女アバターから自分の声がする事に違和感を覚えるのでボイスチェンジャーを使ったり常時ミュートで過ごしている」というフレンドを何人か知っている。
これも外見と中身から発現する認識のズレだとするならば、ズレることは辛く苦しいもので出来れば避けたい事象なのだろうか。
少しも摩擦を起こさず過ごしたいと思うのはいけない事なのか。
僕はバーチャル世界にいるのならズレていた方がお得なのではないかと思う。
リアル世界でズレていると怒られてしまったり社会的立場が危うくなったりするが、バーチャル世界はズレていたほうが周りに合わせているより気楽で楽しい。
バーチャル世界を『好きな姿でいられる世界』と表現する人間が多いが、それはけも耳が生えた美少女の姿を指すのではなく『自分が自然体でいられる世界』という意味だ。
周りとの摩擦を恐れるあまり常に身体が強張って緊張しているより、ある程度自由にできるほうが居心地がいいだろう。
しかしズレていることはとても苦しい事なのも確かだ。誰かが創り出した世間一般という形のトンネルに引っかかる恐れが常に付きまとう。
世間とズレればズレる程摩擦は強くなる。
だが、引っかからないよう丸くなりすんなりトンネルを通れる人間は詰まりのない、つまらない人間と呼ばれる。
好きな姿でいられるバーチャル世界において、あえてつまらない姿を選び続けるのはメリットが少ないのではないかと考えてしまう。
つまらない人間にならないよう奇行に走れ!と洗脳したい訳じゃない。自分の中で一番心地良い状態を自分の中から探し出せと言いたいのだ。
ボイスチェンジャーを使ったり常時ミュートでいる事が心地良い状態なら素晴らしい。
今の姿に満足しているかが大事だ。あなたが満足する形は周りと比べると多少なりともズレているかもしれない。
でもそれでいいんだ。それが一番自然だ。
このズレに気づくことが『好きな姿でいる』ための第一歩。
ズレに気づいた上でそのままにしておくのと存在すら知らずに放置するとでは意味が大きく異なる。
誤読しないでいただきたいが“ズレる”というのは天邪鬼のような逆張りを指すのではない。
トンネルの中を逆走しろと言っているのでない。
それはただの迷惑。右を向いている人が多いから私は左を向くのは“ズレる”ではなく非対称なだけだ。非対称は対面させれば同じ。
1つが2つになっただけだ。だからここで提唱している“ズレる”とは違う。
周りとのズレに気づくことは不幸なことかもしれない。
だが、そのズレはあなただけの魅力であり個性ともいえる。
自分の個性を表現しやすいという点が、
バーチャル世界が『好きな姿でいられる世界』と呼ばれるようになった所以だと思う。
どっかの雪の女王が歌ってましたね。ありの~ままの~姿~見せるのよ~って。
映画は1しか観た事ないけどオラフが好き。声が良いよね。ずっとあのままでいてほしいな。
…あれ、ここどこだろ。図書館に行くつもりだったが完全に迷子になった。
日も暮れてすごく寒いしイヤホンの充電も切れそう。
マジ最悪。家に引きこもって映画観てれば良かった。
はいどうも、バーチャル世界で自分の存在だけを貸し出すVRCなにもしない人こと伊達焼き屋です。
普段はゲームワールドの人数合わせ、一人だと行きにくいイベントの同行、話し相手などを「存在貸出依頼」として受け付けながらバーチャル世界でなにもしないで生きています。
各VRプラットフォームをうろついてそこにいる人達と曖昧に接触し、そこから得た知見や日々の発見を気が向いた時に文章にしてバーチャルライフマガジンさんに寄稿しています。もし僕のコラムが面白かったと思ったら是非Twitterで拡散していただけると嬉しいです。存在貸出依頼も常時受け付け中です。
では本編↓