アバターであることのメリットは美少女になる事だけなのか?バ美肉を超えた『こころ』のコミュニケーション

バーチャルYoutuberやバーチャルアイドルという概念が一般的に普及し、今や大手企業が自社のイメージキャラクターVtuberを作るほど普遍的になりつつある3Dモデルアバター。Vtuberや3Dモデルに興味が無くてもそういう界隈があるらしい、というのを小耳にはさむくらいはメジャーになりつつある文化なのではないだろうか。

【参考画像1】サントリーの公式Youtuber『燦鳥ノム』、アバターによる広報で販促を図っている。

2017年末の『四天王(5人)』(※1)の時代から現在まで、数多くのVtuberが誕生し、なんでも今は1万人を超える数のVtuberがいるのだとか。

そういったタレント的な活動でなくても、VRChatをはじめとしたVR SNSでは現実での友人と会話と同じ感覚でアバターを介したコミュニケーションを楽しむ行為も活発化しており、『バーチャルに住む』などといった表現が比喩でなく使われたり、仮想世界での生活にのめり込む人々も多く存在するのである。

ではなぜ生身の肉体ではなくアバターでのコミュニケーションに魅力を感じる人が存在するのか?
容姿に自信が無いから?美少女になれるから?アイドルになれるから?

…アバター文化に馴染みのない方にとってはアバター=『美少女になれる』だとか『アイドルになる』といった構図が真っ先に浮かびやすいのではないかと思うが、実際VR SNSで遊んでいる人たちがみんなアイドルや女の子になりたいからやっているのかというとそうではなく、もっと別の所に魅力を感じているように思う。

ではアバターである事の魅力とは何なのか。筆者の体験も含め考察していきたい。

※1…2017年のVtuber爆発的ブームの礎を築いたVtuber。キズナアイ、輝夜月、ミライアカリ、ねこます、電脳少女シロの事

容姿に引っ張られないフラットなコミュニケーション

仮想世界では自分のなりたい姿に自由に変身することが出来る。
それは美少女であれ、男性アバターであれ、子どもの姿であれ、犬や猫…別に生物でなくても良い、洗濯機や冷蔵庫、パンケーキやバナナの姿であってもいいのだ。

現実の世界と違い、アバターであればいくらでも自分の理想の美人になれるし、かっこよくもなれる。逆もまたしかりだ。
つまるところ容姿の美醜などいくらでも自分の塩梅で変えられるので、実質的に仮想世界には『容姿による強者・弱者』が存在しないのである。

なので仮想世界の見た目の美醜などは記号やファッション程度の意味しかなく、容姿に引っ張られないフラットなコミュニケーションが出来るのである。

性別を超えたコミュニケーション

現実では見た目の性別によって立ち振る舞いが変わったり、グループが出来たりするのが常だ。

男性が女性にフランクに声をかけるなどしたら、下手したら事案である。
女性側からしても男性に気軽に声をかけるのに抵抗がある人は多いだろうし、そうなるとどうしても見た目の性に囚われたグループ形成が出来てしまうのは仕方ないのだろう。

だが仮想世界では女性になりたいと思うのであれば見た目を女性のアバターにして、ボイスチェンジャーで声も変えれば女性になれるわけだし、男性になりたいというのであれば同じく男性アバターで男性の声にボイチェンすればその性になれるわけなので、これも前項に記述した容姿と同じくバーチャルにおける性は実質ファッション程度の意味合いしか持たないのである。

たまにアバター文化に馴染みのない人から『なんで女性のアバターを使ってるのに男性の声なんですか?』と言われることがある。現実の性の概念に引っ張られている人から見ると女性の姿から男性声が聞こえるのは不自然に見えるのだろうが、こちらからすると仮想空間上での性別と言う概念は既に希薄なものになっているので、声が男性だろうが女性だろうが、見た目が男か女かなんていうものは気に留めるようなものではなくなっているのである。

昔で言う2ちゃんねる(新5ちゃんねる)やしたらば掲示板、ふたば★ちゃんねるなどの匿名掲示板で会話をしているときに(煽り以外で)わざわざ『男ですか?女ですか?』などと尋ねないように、アバターと言う姿がありつつもインターネットの匿名性が保たれている、新しい空間とも言える。

年齢が分からない事による上下関係の撤廃

先輩・後輩、という言葉があるように、往々にして現実では年齢が上の者に対しては敬わなければならないし、下の者に関しては『センパイ』として気を張らなくてはいけない部分もあるだろう。

無論、それは秩序を保つために正しい立ち振る舞いではあるのだが、やはりそれもコミュニケーションの弊害になりうる時がある。年上の人に対して友達のように気安く話しかけるのも恐れ多いし、例え『気軽に話しかけていいよ』なんて言われても貫禄のある顔を目の前にしたらそうも出来ない。

また、年下のグループの会話に混ざりたくても見た目の年齢が高い自分が入ったら気を遣わせてしまうだろうな…という懸念からなかなか年下グループとコミュニケーションが取れない、といった事もあるだろう。

だが仮想空間でのアバターには年齢と言う概念が無く、見た目で年齢を判断できないので、年齢による上下関係を意識することなくコミュニケーションが取れる。

アバター=『こころ』でつながる時代

容姿・性別・年齢による区分けが発生しないアバターでの人との関りにより、新たなコミュニケーションのあり方が開拓されている。3Dアバター技術の進化はコミュニケーションの進化でもある。

例えばめっちゃイケメンというフィジカル(肉体的)要素で女性を何人もたぶらかせていたようなホストが仮想空間でイケメンアバターになったとしても、現実と同じように女性に人気になるとかファッション雑誌の表紙を飾るとか、そういったことは起こり得ない。

また、年齢を武器に年下をこき使っている嫌な上司が仮想空間で『俺は年上だぞ』と威厳を示そうとしても、誰も従ってはくれないだろう。

なので、現実でフィジカルの暴力で殴ってコミュニケーションを取っていた人にとっては、仮想空間での対人関係は非常に難しいものになる。
仮想空間には見た目の概念が現実のように適応されないので、その人の言葉遣いや立ち振る舞い、性格、人格が非常に重視されるのだ。

つまるところ仮想空間でのアバターコミュニケーションとは、容姿で優遇されることが無い分、その人の『こころ』に価値を見出されるのである。

思いやりがあったり、朗らかであったり、明るかったり、気を遣えたり…そういった人当たりの良い人は評価されるし、逆説的に言えば人に文句を言ったり、ケンカ腰で自分の意見を通そうとしたり、自己中心的な人間は問答無用で排他される。
年上だから嫌な態度を取られても我慢してきいてやるか…とか、イケメン(美女)だからワガママ言われても逆らえない…といったフィジカルによる配慮は通じないのである。

少しSF的な話になるが、将来はフィジカルの文化で生きる層とメンタリティで生きる層に2分されるのではないかと考える。インターネットの発達により既に若干起こり得ていることだが、その人の内面や人柄を重視するコミュニティと、容姿や肉体的な力、年齢などのフィジカル要素でコミュニティを形成する集団との格差がアバター文化の浸透により今後さらに顕著化してくのではないだろうか。