2024年11月23日~12月1日にかけて開催される『メタシアター演劇祭2024』の幕開けを飾る舞台として、同イベント主催のぬこぽつさんが手掛ける『VR演劇ハムレット』第1回が公演されました。
昨年から本格的に始動した『メタシアター演劇祭』が、いよいよ帰ってきました。様々なパフォーマーが集い、専用に制作された演劇用ワールドを活用して、VR上の表現力を発信する大型イベントです。
ぬこぽつさんはこれまで、VR演劇として『マクベス』『真夏の夜の夢』と、シェイクスピアの古典演劇を手掛けてきました。『メタシアター演劇祭2024』に合わせ、満を持しての『ハムレット』──そのチケットを確保できましたので、観劇レポートをお届けします。
目次
『メタシアター演劇祭2024』始動! 気軽に観劇へでかけよう!
『メタシアター演劇祭2024』に先駆けて、『一般社団法人メタシアター』による総合芸術劇場ワールド『Dramapia』(リンク先はPR記事)が公開されています。
普段、いわゆる“劇”にそれほど縁がない人にとっては、仮に興味を持ったとしても“舞台”というだけで尻込みしてしまうものです。それも、シェイクスピアといった古典作品ともなれば「難しそう」「自分には分からないかも」といった先入観を持ってしまうのも仕方のないことでしょう。
『マクベス』『真夏の夜の夢』をはじめ、ぬこぽつさんとの縁から他にもいくつかのVR演劇に触れる機会をいただけた筆者としても、やはり日常の中にあってはまだまだ自分とは遠い存在、と感じてしまうのが正直なところです。
昨年から大きくパワーアップした劇場用ワールド『Dramapia』は、区や市に存在する大型ホールのような雰囲気がしっかりと再現されています。VR空間上の操作で施設に入っていくところから席につく流れは、そうした文化的施設へ足を運ぶ体験に繋がっていると言えます。
リアルの演劇に触れるまでの様々なハードルは、こうしたひとつひとつを分析してみると、想像以上に多く存在すると思わざるを得ません。その意味で、『VRChat』という仮想空間上の演劇イベントでありながら、実際の演劇らしさにこだわった『ハムレット』は、自宅にいながらにして本格的な文化体験を得られるものだったと感じました。
そうです、今回のVR演劇『ハムレット』は硬派であると評価したくなるほどに、舞台らしさを追求したものだったのです。
VR演劇『ハムレット』講評 多層のレイヤーが生み出すもの
あえて大道具を固定した“ガチ舞台”の再現
幼馴染同士であるハムレット、オフィーリア、レアティーズ、ホレイショーの登場から幕が開けます。舞台は大道具として上手にドラムセットの乗った土台、下手に階段付きの土台が配置されていました。(※筆者の環境ではドラムセットが表示されておらず、画像には写っていません)
『ハムレット』のストーリーとしてはそれほど場面が大きく変化するものではありませんが、今回のVR演劇では常にこの“左右2つの土台”が固定された状態でした。
『VRChat』のワールドへ劇場を作り上げると言っても、仮想空間である以上オブジェクトの出し入れにそれほど制限はないはずです。やろうと思えば、場面転換で多くの木々を生やしてみたり、それこそ劇場ごと取り払って青空を見せることだって可能な訳です。
つまり、VR演劇『ハムレット』は敢えて実在の大道具としての存在を優先させたことになります。更に、背景の色を変化させる光の演出も複雑なものとはせず、あくまでも劇場の光源で実現できる範囲とし、その証拠と言わんばかりに“照明機器モデル”を目に見える位置に配置したままとしていたのです。
役者の個性に合わせた脚本と役作り
ぬこぽつさんが手掛けてきたVR演劇は、役者の声質や性格、普段使用しているアバターを優先した形で脚本が組まれる傾向にあるという特徴があります。男性の役であっても女性的なアバターを使う役者がいるかと思えば、そもそもケモノっぽいアバターで人間役を演じるパターンもあったりする訳です。
今回の主人公ハムレットはデンマーク王子ですが、舞台では女性による女性アバターを使用しての演技でした。『VRChat』ではケモミミのついたアバターを使うプレイヤーも多いのですが、恋人オフィーリア役は緑色の髪に大きなケモミミのついた姿で演じていました。
幼馴染の4人という設定の中で、ひとり身分の低いホレイショーは、ハムレットの従者といった立ち位置にいます。今回の舞台では使用されない設定ですが、シェイクスピア原作では低い身分でありながら学者であるという立場を取る存在です。
ホレイショー役の絢辻らあんさんによれば「自分の声質やアバターの姿から考えて、より少年らしい動作で、喜怒哀楽をしっかり伝えられるようにした」と、アフタートークで語っていました。劇場そのものにはリアルさを追求しつつ、VR空間の肝とも言えるアバターを優先した舞台を作る、そうした異なるレイヤーの重なりがここで見られます。
音響は“生ドラム演奏のみ”という凄み
大道具の一つとして、舞台の上手で常に見える状態で据えられていたドラムセット。劇中では、演技に合わせて効果音としてドラムが鳴らされていました。途中3分の休憩を挟んだ時、観客の中から「もしかして効果音はあのドラムからリアルタイムで演奏されている?」といった疑問が飛び出していました。
ドラム演奏といっても、音楽のようなリズムが刻まれるわけではなく、あくまで雰囲気を少し盛り上げる“一瞬の効果音”という具合でした。はじめ筆者は、録音したものを差し挟んでいるものと思い込んでいたのです。いわゆるBGMは一切なし。重苦しい空気を演出する、悲劇にふさわしい効果だったと感じます。
クライマックスを迎えて終幕となり、暗転の中に淡いスポットライトが照らされ、一人ずつ無言のキャスト紹介が続きました。誰も声を発さず、鼓動音を模したバスドラムがただゆっくりと鳴らされるのみ。
全員の顔見せが終わると次第に鼓動が遅くなり、やがて止まって“ハムレットの”本当の終幕となったのです。
“どこまでVRらしさを使うのか”という意図的な足かせ
実際の舞台らしい方法にこだわるという点では、場面転換における役者の交代方法も印象に残りました。
『VRChat』にはそもそも“リスポーン”といった機能で、一瞬にして基準の位置に戻るという方法が使えます。また、様々なプログラムを組めば、あるタイミングに好きな位置へ移動できたりといった、役者にとって便利なものを実装しておくことも難しいことではありません。
しかしながら、VR演劇『ハムレット』においては、そうしたデジタル的な裏方の手法はほとんど見られませんでした。場面転換で暗転をしたのならば、テレポートのような機能を使えば時間も掛かりませんし、暗がりの中で「誰かが準備に動いているな」といった、ある種メタ的な気づきを観客へ感じさせることも防げます。
しかしながらこの公演では、場面転換で役者が準備に動いているのがなんとなく見えてしまうのです。おそらくこれは意図したものであり、あえてスティック移動だけで演技も裏方的な移動も行うことで、やはり“実際の演劇らしさ”を感じさせる狙いがあったものと思います。
しかしながら、激しいパーティクル演出などを使用した場面が存在しない訳ではありませんでした。それは、ハムレットがクローディアスの真意を探るために用意した、暗殺手口を脚本とする“劇中劇”を展開した場面です。
その“劇中劇”で登場する役者たちは、目立ちすぎるほどのパーティクルを展開し、コウモリになってその場から消えてしまうような手法まで取るなど、明らかに劇全体のこだわりに対抗するような演出を行います。
これは言わば、“『ハムレット』という劇の中におけるバーチャル”を表現したことになります。バーチャルとリアルの対比はよく語られることですが、それは単なる双方向の話です。しかしながら、バーチャルの中から“更にまた別のバーチャルを構想する”ことは可能なはず。
ではそれを、同じ次元のバーチャル(『ハムレット』という劇中)で表現し、リアルの視点にいる観客へ認識させるにはどうすれば良いのか。この“劇中劇における足かせの外し方”は、その一つの解です。ここにもまた異なるレイヤーの重なりが生まれていると言えるのではないでしょうか。
全ては“劇場を体験する機会”を身近なものとするために
『VRChat』でのパフォーマンスが毎年のように洗練されていくなかで、“VRだからこそできること”が追求されるのは当然のことです。それはVR演劇においても同様であり、草々の模索を試みる中には「ただ演劇を仮想空間に再現するだけでは意味がないのでは?」といった悩みは当然あったことでしょう。
そうした“VRだからこそできること”を積み重ねてきた上で、なぜ敢えて『ハムレット』は逆行するかのように“現実らしさ”を採用したのでしょうか。そして、なぜ“劇中劇”では足かせを外したかのように激しいパーティクルを展開したのでしょうか。
筆者の勝手な想像ではありますが、『一般社団法人メタシアター』は演劇などの文化をVRSNSの中で広く展開することで、リアルを含めた多くのパフォーマーが活躍できる機会を作ろうとしていることに理由があると感じています。
あえて実際の公共施設に近い『Dramapia』を構築し、そこへ来場するまでの道筋を感じさせ、現実的な観劇体験を提供する。率直に言えば、今回のVR演劇がなければ、筆者は古典演劇である『ハムレット』を一生のうちに見ることは無かっただろうとすら思います。つまり、筆者は『メタシアター』によって古典の観劇を身近なものとしてもらえた、と言って差し支えないはずです。それはひとえに、リアルではなかなか役者として挑めなかった人たちでも、バーチャルで活躍できる機会を得ることにつながったことを意味します。
『メタシアター演劇祭』に集まるパフォーマーは、自分たちが行いたい表現を全力で出し切ろうと練習や稽古を重ねてやってきます。しかしながら、『メタシアター』としての代表でもあるぬこぽつさんにとっては、演劇を完成させることと同時に、組織の目的を推進するという役目も背負うこととなります。
“VRだからこそできること”へあえて足かせをかけることで、実際の観劇に近い体験を提供するという目的を果たしつつ、その足かせに明確な意味を持たせることで、それ自体に重層的な機能を与えることをも実現したのです。
アバターを使用した役作りという重なり、バーチャル中のバーチャルを表現させる重なり、リアルさが還ってバーチャルの機会を生むという重なり。長らく“VRらしさとは何か”に向き合ってきた人たちの、ひとつの姿がここにあります。
正義感が罪悪感へと変貌していく演出
「生きるべきか、死すべきか。それが問題だ──」
『ハムレット』では有名なセリフですが、恥ずかしながら筆者はこの言葉すら知りませんでした。それでも、この場面は強い印象に残っており、シェイクスピアの脚本がいかに強いのかを感じざるを得ません。
原典では、“To be, or not to be, that is the question.” と記されており、長い間さまざまな訳が登場してきたようです。「生きるべきか死すべきか」とだけを読むならば、それは原典の直訳的でもあるように感じられますが、ハムレットに降り掛かった状況を鑑みれば、この言葉の中には表か裏かといったハッキリとした悩みではない複雑さがあるように思えてきます。
素人の目線を承知で説明的にするならば、「果たすべきか、果たさざるべきか」といった感覚だろうかと考えています。この逡巡に、ハムレットの主人公らしい正義感と、現在の一般市民たる私達と変わらない苦悩が混ざり合っているように思えてならず、より身近な存在へ感じられてくるのです。
恋人オフィーリアの父であり、クローディアスの右腕である宰相ポローニアスを過って殺害してしまったハムレットは、お尋ね者としての立場であることはもちろん、自身の過ちからも逃げ回るような描写が挟まります。
暗く赤い背景に、黒々とした登場人物たち。その中を叫びながら走り回るハムレット──。
もちろんこの影のような登場人物たちは、ハムレットの心の中に出現する“恐れ”のようなものを表現しています。この影も、それぞれの役者がスティック移動で登場してくるといった手作り感のある場面で、一種のチープささえ感じるのです。
しかしそれがむしろ、観客にとって奇妙な恐怖感として襲ってきます。それまで主人公然としていたハムレットが、クローディアスだけでなくあらゆる人に対して恐れおののき、逃げ回ってしまう。陰謀に対して戦おうとしていた正義感は、恋人の父を殺害するという過ちを引き起こしたことで、罪悪感へと変わっていってしまいました。
VRらしさを排し、限られた舞台装置の中にあって、人々を信じる心を失いつつある心情を表現する、強烈な“演出”でした。「生きるべきか、死すべきか」と悩む姿と、正義感が罪悪感に変わる苦しさと、どこか普遍的なものを感じるからこそ、シェイクスピアの作品が古典として評価され続けているのだろうと思います。
『メタシアター演劇祭』へ出かけよう!
『メタシアター演劇祭2024』ははじまったばかり! 1週間のお祭りを楽しもう!
演目スケジュールをチェックして、見逃さないように!
VR演劇『ハムレット』は初回公演(記事冒頭の埋め込み)と、最終公演がYouTubeで配信されますので、チケットが取れなかった方もぜひご視聴ください。
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『ハムレット』はシェイクスピアによって作られた戯曲で、“シェイクスピアの四大悲劇”のひとつと評価されています。
<VR演劇『ハムレット』でのあらすじ>
主人公ハムレットは、デンマークの王を父に持つ王子。
ある時、ハムレットの叔父(王の弟)であるクローディアスは王を毒により暗殺し、そのまま王妃ガートルードと結婚することで玉座を奪うことに成功する。
父を失い、すぐさま再婚した母の行動に悩むハムレット。そんな中、父の亡霊に出会うことで暗殺の真相を知る。
復讐をすべきかどうかと悩む中で、恋人であるオフィーリアと距離を置こうとするハムレットだが、実はオフィーリアの父は宰相ポローニアスであり、現王クローディアスの右腕として動いていた。
暗殺の真相を母であるガートルードへ伝えるも、その会話をポローニアスが密かに聞き取っていた。ハムレットは憎き現王クローディアスが盗み聞きしているものと思い込み、その場でポローニアスを殺害してしまう。
復習すべき人物を違え、しかも恋人の父親を手にかけてしまったことで、ハムレットは追われる身となりながら、自らの進退に苦悩しはじめる。
あまりの出来事に悲しみからオフィーリアは命を落としてしまう。オフィーリアの兄であるレアティーズは、父と妹を殺害した犯人がハムレットであると信じ込まされ、復讐の炎へまみれることに。
真相の暴露を恐れたクローディアスは、レアティーズとハムレットを剣術試合に招く形で両者の和解を提案しつつ、剣へ毒を仕込むことでハムレットを暗殺しようと企む。
しかしながら、確実に暗殺するため準備していた毒入り酒を王妃ガートルードが誤って飲んでしまうという事態に陥り、レアティーズも真相を知ることとなるも、既に両者は毒剣の傷を負ってしまった。
波乱の中でハムレットは最後の力を振り絞り、クローディアスへの復讐を果たす。そのまま毒によって自らの命を終えようとする時、オフィーリア、レアティーズとも幼馴染だった親友ホレイショーへ全ての顛末を託したのだった。